一般に,〈近代〉国家が形成される段階で,〈未開〉であるとの偏見をもとに,民族としての存在と固有の文化を否定され,その伝統的領土とともに一方的にその国家に併合された民族集団を指す。その領土には植民地政策が敷かれ,大虐殺や強制同化政策などにより民族としての抹殺が行われるが,同化が進んでも,差別問題は解決しない。この点,先住民族は,近代国家に自らの意思で統合されたかどうか,植民地政策が行われたかどうかによって確認される政治学の概念であり,民族学や人類学の概念ではない。
南北アメリカ大陸やオセアニアに先住民族が存在するのは明らかだが,民族間の〈先住性〉が相対的なアジアやアフリカにおいても,先住民族は存在する。近代国家形成時の合意の検証問題では,〈植民地の解放〉によって誕生した国家も例外とはならないからである。統合の過程の多くが国際法上の差別主義に基づくことから,先住民族は民族自決権を留保していると考えられ,英語ではindigenous peoplesという用語を使用する。なお,この民族自決権を認めない立場からindigenous peopleやindigenous populationsを使う政府も少なくなく,これは〈先住民〉と訳される。また,移民など,何らかの合意をもとにその国の中に生活する民族的集団である少数民族ethnic minorityと区別される。
国連の推計では,先住民族は少なくとも世界70ヵ国以上に約3億人が生活しているとみられる。その生活領域は,北極圏から南米大陸南端のフエゴ島まで地球上の広範な地域に及ぶ。カナダとアメリカ合衆国に約150万人,メキシコなど中米に約1300万人,アフリカに約1400万人などと推定されるが,最大の先住民族を抱えるのはアジアで,その人口は推計で約1億5500万人をこえ,その過半数を占めるといわれている。代表的な先住民族としては,北極圏のイヌイット,北ヨーロッパのサーミ,北米のナバホ,スー,シャイアン,セミノール,チペワ,中米のマヤやクーナ,南米のインカ(ケチュアやアイマラなど),マプーチェ,ヤノマミ,アフリカのマサイやトゥアレグ,ヌバ,サン,コイ・コイン,ロシアのイテリメン,ナナイ,チュクチ,ウイルタ,オーストラリアのアボリジニー,ニュージーランドのマオリ,その他の島嶼地域のカナカ,チャモロ,マオヒなどがある。最大の人口を持つアジアでは,南アジアのアーディバーシーやナガ,ジュンマ,タマン,東南アジアのカレン,モン,オラン・アスリ,ダヤク,コルディラ,アエタ,東アジアのアイヌやタイヤル,アミ,ヤミ(タウ),中央アジアのウイグル,タタールなどが,先住民族であるとしてその権利を主張している。
1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達や1522年のマゼランの世界一周(特に1521年のグアム,フィリピン到達),1770年のクックによるオーストラリア探検などで非ヨーロッパ世界のフロンティアが知られると,多くの地域が一方的にヨーロッパ列強の領土とされ,住民は〈未開〉人として虐殺の対象とされ,また,その文化や伝統は〈野蛮〉なものとして否定された。例えば,コロンブスの到達から40年間に,カリブ海地域では虐殺や病気により1200万~1500万人の先住民族が命を失い,また,ボリビアのポトシ銀山では1545年から300年間で800万人の先住民族が強制労働の犠牲者になったと推定されている。その後,1776年のアメリカの独立や19世紀の中南米諸国の独立も,入植者がその主体であり,先住民族の地位はまったく改善されなかった。多くの地域では隔離政策がとられ,先住民族は権利を剝奪されて〈居留地reserve/reservation〉に閉じ込められ,国家に管理され,強制的な同化政策が持ち込まれた。また,その過程で,チェロキーの〈涙の旅路〉のような多くの犠牲者を出した強制移住がたびたび行われた。さらに,市民権が認められるようになると,土地は個人所有となり,民族の共有地は解体・没収され,伝統的な経済の維持が困難になった。また,課税などによって土地を維持できなくなった先住民族は低賃金労働者として都市に流入した。同時に,社会的な差別が助長され,アルコール中毒や自殺などの社会問題が特に青年層の先住民族に襲いかかった。
アジア・アフリカにおける植民地解放も,同じように,先住民族を生み出す結果になった。欧米の植民地のほとんどは,その領域内に住む民族の合意を確認あるいは尊重することなく,地域の主要な民族に引き渡された。そして,この国家を持った民族は,近代国家の国民形成を旗印に,先住民族の固有の文化や権利を否定し,強制的な同化政策を実施し,その領土に巨大な開発プロジェクトや入植者を送りこんだ。
先住民族の伝統的領土は,その国内の中では,政府が自由に利用できる土地として近代国家のさまざまな矛盾が持ち込まれた。特にこうした傾向は,経済至上主義や構造調整などの政策で,1980年以降,ますます先住民族の生活環境を破壊するようになった。例えば,軍事基地や軍の演習場の設置,なかでもアメリカのネバダ,旧ソ連のノバヤ・ゼムリヤ,フランスのムルロア環礁,中国のロブノールなどの核実験場は先住民族の土地に建設された。ウラン鉱山をはじめとする鉱山開発やダムや道路建設などの開発事業も,先住民族の土地と密接に関係している。北欧のキルナ鉄山やイラクのキルクーク油田のほか,アメリカ,カナダ,オーストラリアのウラン鉱山,また,フィリピンのチコ・ダムやインドのナルマダ・ダムなどがそうした事例に当たる。さらに現在,地球環境問題として注目されている熱帯林の伐採で生活を脅かされている人々の多くも先住民族であり,アフリカなどでは自然環境の保持という名目で設置された国立公園から強制移住させられる先住民族の例も少なくない。
他方,先住民族の固有な権利や文化,歴史に対する理解が促進されないことから,依然として厳しい差別が残り,失業や低所得,低学歴,医療施設など社会基盤の未整備,乳幼児の高い死亡率,自殺などによる平均寿命の低下など多くの社会問題が指摘されている。
20世紀に入って国際連盟が設置されると,早くも1920年代に北米の先住民族は代表を派遣して民族の権利回復を訴えた。60年代には,アメリカでベトナム反戦運動の中から先住民族の若者を中心に〈レッド・パワー〉と称される運動が組織された。69年にはサンフランシスコ沖のアルカトラズ島占拠事件,73年には第2次ウーンデッド・ニー事件により,先住民族の運動が積極的に展開された。これを契機に74年には国際インディアン条約評議会(IITC)という北米先住民族の国際組織が結成された。IITCは,77年に国連経済社会理事会の正式の諮問資格を取得し,これによって先住民族組織の国連活動が開始された。こうした運動の結果,82年には先住民族の人権問題を専門的に扱う国連先住民作業部会が設置され,この成果を受けて,93年には〈国際先住民年〉が,また,1995-2004年には〈世界の先住民の国際10年〉が制定され,1995年には〈国際先住民デー〉が8月9日と制定された。〈国際10年〉は,その成果が十分だったとして新たに2005-14年が〈第2次世界の先住民の国際10年〉と制定された。さらに2002年には,経済社会理事会の下に〈先住民俗問題に関する常設フォーラム〉という委員の半数が世界各地の先住民族代表によって構成される画期的な国連機関が誕生した。これに加え,先住民族の権利を網羅的に扱った人権宣言としての〈先住民族の権利に関する国連宣言〉の草案は,20年以上の起草作業を経て,06年6月には新設された国連・人権理事会で採択され,国連総会での採択待ちとなっている。
個別の国では,イギリスのオーストラリア領有を無効とする1992年のマボMabo判決や,93年の先住権原法の制定がオーストラリアで行われたほか,96年ニュージーランドでは,人口比に合わせたマオリ民族議席を確保する選挙法の改正が行われた。また,99年にはカナダで,先住民族イヌイットの準州ヌナブトが新設された。
執筆者:上村 英明
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