デジタル大辞泉 「ブリンクリー」の意味・読み・例文・類語 ブリンクリー(Francis Brinkley) [1841~1912]英国の海軍軍人・ジャーナリスト。1867年(慶応3)来日し、海軍砲術学校などで教えた。「ジャパン‐メール」紙を発行、日本の文化を海外に紹介。東京で没。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「ブリンクリー」の意味・読み・例文・類語 ブリンクリー ( Francis Brinkley フランシス━ ) イギリスの軍人、ジャーナリスト。慶応三年(一八六七)来日し、勝海舟に見出されて海軍砲術学校、工部大学校などで教育にあたった。明治一四年(一八八一)「ジャパン‐メール」紙を創刊、日本紹介に努めた。東京で没。(一八四一‐一九一二) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「ブリンクリー」の解説 ブリンクリー 没年:1912.10.22(1912.10.22) 生年:1841.11.9 イギリスのジャーナリスト,海軍軍人。慶応3(1867)年日本公使官付武官補並びに守備隊長として来日。明治4(1871)年から海軍砲術学校主任教師を約5年間務めた。水戸藩士の娘と結婚し帰国しなかった。日本語にくわしく新聞記者・日本美術鑑定家として,親日的立場で日本を広く海外に紹介した。<参考文献>下村寅太郎『明治の日本人』 (影山好一郎) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ブリンクリー」の解説 ブリンクリー Brinkley, Francis 1841-1912 イギリスの軍人,ジャーナリスト。1841年11月9日生まれ。慶応3年(1867)イギリス公使館付武官補として来日,海軍砲術学校でおしえる。明治14年英字新聞「ジャパン-メール」を刊行。日清戦争後は「ロンドン-タイムズ」の通信員をかね,「日本武士道論」を連載した。大正元年10月22日東京で死去。70歳。アイルランド出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「ブリンクリー」の解説 ブリンクリー 生年月日:1841年11月9日イギリスの海軍士官1912年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by