改訂新版 世界大百科事典 「ブンド」の意味・わかりやすい解説
ブンド
Bund
旧ロシア帝国内のユダヤ人社会民主主義組織。正式名称〈在リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟Allgemeiner Yiddisher Arbeterbund in Lite,Poilen un Russland〉。1897年ビルニュスで創立され,当初リトアニア,白ロシア(ベロルシア)地方を主たる地盤とした。ロシア革命後ソビエト領の組織は1920年代初めまでに弾圧されるか共産党に合流するかして消滅した。ポーランドの組織は両大戦間期になお発展を見せたが,第2次世界大戦中弱体化し,共産党政権下の48年に消滅した。今日アメリカを中心とする国際組織のみが細々と存続している。その政治的・イデオロギー的立場は,一方で宗教的・領土主義的なユダヤ民族主義(シオニズム)を拒絶し,他方でユダヤ人独自の社会民主主義組織を固執するところにある。ロシア社会民主労働党の結成を助け,当初は組織力,出版活動において同党内の最も強力な部分をなした。1903-05年の党員数2万5000~3万5000。1901年のブンド第4回大会においてオーストリア社会民主党の影響下にユダヤ人の民族的独自性,諸民族の非領域的連邦国家構想を採択した。さらに03年のロシア社会民主労働党第2回大会において党組織の連邦化を主張し,多数派と衝突して大会をボイコットした。06年に自治的単位として党に復帰し,党内論争において主としてメンシェビキに荷担した。第1次世界大戦中はツィンマーワルト運動に参加した。ロシア革命後(1917年末のメンバー約4万)メンシェビキの左右両派に属し,ユダヤ人の文化的自治を主張した。多数派はポグロムの猖獗(しようけつ)とともにしだいに共産党に合流した。一方,ポーランドの組織は1917年末に独自の中央委員会を形成し,在ロシア組織から分離した。ポーランドの独立後,親ソ傾向とシオニズムの相克に悩まされながらもポーランド社会党左派と提携して勢力を伸ばし,30年代後半に絶頂を極めた(1939年のブンド系労組員は9万9000)。しかし,第2次世界大戦中ナチスのユダヤ人絶滅政策とソ連の反ブンド政策によって決定的な打撃をこうむり,戦後,共産党政権下で組織活動の根を絶たれた。
執筆者:伊東 孝之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報