ツィンマーワルト運動(読み)ツィンマーワルトうんどう(その他表記)Zimmerwalder Bewegung

改訂新版 世界大百科事典 「ツィンマーワルト運動」の意味・わかりやすい解説

ツィンマーワルト運動 (ツィンマーワルトうんどう)
Zimmerwalder Bewegung

第1次世界大戦中の,反対派社会主義者の国際的結集運動で,その発端となった会議開催地にちなんで同時代にこの名が付けられた。大戦の勃発に際し,ロシアを除く交戦国の社会主義政党の主力が自国政府支持に転じて城内平和を結ぶとともに,第二インターナショナルは機能を失った。これに対し主として中立国の社会主義者が国際連帯の努力を続け,1915年9月5~8日,スイスの村ツィンマーワルトで国際会議を実現した。参加したのは,推進役のスイス,イタリアをはじめ北欧3国,ポーランドルーマニアブルガリアの社会主義者,亡命ロシア人の各派,ドイツ,フランスの反対派,計11ヵ国38名で(イギリス代表は出国が許されず不参加),城内平和政策を批判するとともに無併合の講和実現を訴え,執行部として,スイス人のグリムRobert Grimm(1881-1958)らから成る国際社会主義委員会(ISK)を選出した。このとき,〈戦争を内乱に〉と主張し,第二インターナショナルの枠を大胆に超えようとするレーニンら8名が〈ツィンマーワルト左派〉を形成した。16年4月24~30日,スイスの保養地キーンタールKientalで開かれた第2回会議では,左派は40数名中12名を占めて発言力を増し,いっそう急進的な決議を採択させたが,大勢は第二インターナショナルとの決別には賛成でなかった。

 しかし,ロシア革命のもたらした新たな状況の中で,ISKが17年9月5~12日,ストックホルムで第3回会議を開催したときには,左派,とくにレーニンは独自の道を歩み出しており,この運動の会議もこれが最後になった。グリムが退いたあと,ISKはボリシェビキを支持して宣伝活動を続けたが,19年3月,第三インターナショナル(コミンテルン)創立とともに解消した。
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百科事典マイペディア 「ツィンマーワルト運動」の意味・わかりやすい解説

ツィンマーワルト運動【ツィンマーワルトうんどう】

第1次大戦中の社会主義者の運動。名称は1915年スイスのツィンマーワルトZimmerwaldで開かれた会議に由来する。第1次大戦勃発(ぼっぱつ)で第二インターナショナルの主力諸政党が戦争支持にまわったため国際社会主義運動は分裂・動揺の様相を呈した。この状態に対処するため反戦派社会主義者が集結したが,右派,中間派が多数を占めて,帝国主義戦争を内乱に転化させようとするレーニンらの少数派(ツィンマーワルト左派)を制し,帝国主義戦争反対と早期終戦を決議するにとどまった。ロシア革命を経て左派が独自の路線を歩む中,コミンテルンの成立とともに解消。

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