プラシドドミンゴ(英語表記)Plácido Domingo

現代外国人名録2016 「プラシドドミンゴ」の解説

プラシド ドミンゴ
Plácido Domingo

職業・肩書
テノール歌手 ロサンゼルスオペラ総監督

国籍
スペイン

生年月日
1941年1月21日

出生地
マドリード

学歴
メキシコ・シティ音楽院

受賞
国際クラシック音楽アワード男性歌手賞(第1回)〔1993年〕,世界文化賞(音楽部門,第25回)〔2013年〕

経歴
1949年、スペインの伝統芸能サルスエラの歌手だった両親とともに8歳の時メキシコに移住。カルロ・モレッリに声楽を師事したほか、メキシコ・シティ音楽院でピアノと指揮イーゴリマルケヴィチに学んだ。1957年バリトン歌手としてデビュー。’61年「椿姫」でテノール歌手デビュー。’62〜65年イスラエル国立歌劇場に所属、300以上の公演に出演。’65年マルセーユ劇場でピンカートンを歌って名声を確立。’65年米国に本拠地を移す。’66年ニューヨーク・シティ・オペラ、’67年ウィーン国立歌劇場、’68年メトロポリタン歌劇場、’69年スカラ座出演を経て、以後世界の主要歌劇場に招かれ、リリックからドラマティックまで幅広いレパートリーで活躍。得意はヴェルディプッチーニなどのイタリアオペラ。’70年代からはオペラの指揮も手がける。ドイツオーストリアの宮廷歌手の称号を持つ。ルチアーノ・パヴァロッティ、ホセ・カレーラスとともに“三大テノール”と称され、’90年サッカーW杯イタリア大会の時に、初の三大テノール公演を開催。以来、’94年、’98年、2002年W杯でも続けた。1992年にはセビリア万博の音楽監督を務めるとともに、バルセロナ五輪の開会式・閉会式に出場して花を添えた。’94年〜2003年ワシントン・オペラ芸術監督、2000〜2003年ロサンゼルス・オペラ芸術監督、2003年より同総監督を務める。1976年初来日公演。以後、度々来日し、’96年三大テノール公演で来日。2011年には東日本大震災直後の4月に来日、「コンサート・イン・ジャパン」を開催。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「プラシドドミンゴ」の解説

プラシド ドミンゴ
Placido Domingo


1941.1.21 -
スペインのテノール歌手。
マドリード生まれ。
両親ともサルスエラの歌手で1950年メキシコに移住する。メキシコ・シティの音楽院で指揮を学ぶが在学中に声楽に転向する。バリトン歌手を経て、’60年「椿姫」のアルフレード役でテノール歌手として本格的にデビュー。’62年イスラエル国立オペラで活躍し、’65年ヨーロッパの舞台に登場し、’66年ニューヨークでもデビュー。以後、世界の主要歌劇場で活躍し、代表的テノール歌手として名声を博す。又、’77年バイエルン国立歌劇場での指揮も絶賛を浴びる。甘く、柔らかい、暖かい響きある声で常に格調高い歌唱を行う。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「プラシドドミンゴ」の解説

プラシド ドミンゴ

生年月日:1941年1月21日
スペインのテノール歌手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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