イタリアのオペラ作曲家。ルッカに生まれる。18世紀から続く音楽一族の出身。5歳で音楽家の父を失って以来、家族の期待を担って音楽修業を始める。14歳のころオルガン奏者となり、17歳でオルガン曲を作曲したが、1876年にピサでベルディのオペラ『アイーダ』に接してからは、宗教音楽家という一族の伝統を破ってオペラ作曲家になる決意を固めた。そして4年後、この目的を果たすためにミラノ音楽院に入り、3年間ポンキエッリなどに作曲を学んだ。1884年に師の勧めでオペラ第一作『ビッリ』Le Villiを作曲し、ミラノにおける初演は成功を収めた。これは妖精(ようせい)ビッリの伝説に基づく悲劇で、バレエ『ジゼル』と同じ題材を扱っている。第二作『エドガー』(1889ミラノ初演)は、『カルメン』の安直な焼き直しの台本がプッチーニの資質とあわず、完全な失敗に終わった。第三作『マノン・レスコー』(1893トリノ初演)は、アベ・プレボーの同名小説に基づくマスネのオペラ『マノン』に啓発されて、作曲者自らが選んだ最初の作品で、後にも先にも例のない成功を収め、オペラ作曲家としての地位を築いた。
第四作『ボエーム』は、『トスカ』『蝶々(ちょうちょう)夫人』と並ぶプッチーニの三大作(いずれもL・イリッカLuigi Illica(1857―1919)とG・ジャコーザの台本)の最初の作品で、パリの裏町の貧しくも若い芸術家の群像が、写実的に生き生きと描かれている。1896年トリノでトスカニーニの指揮で初演されたが、前作のロマン性を期待した聴衆には不評であった。続く『トスカ』は、V・サルドゥーの同名戯曲に基づく初めてのベリズモ・オペラで、1900年にローマで初演されたが、筋書きの残酷性などが非難の的となり、不成功に終わった。『蝶々夫人』は、実話に基づくJ・L・ロングJohn Luther Long(1861―1927)の小説をD・ベラスコが戯曲化した英語の芝居で、1900年にこれをロンドンで見たプッチーニがオペラ化を計画、1904年にミラノのスカラ座で初演をみたが、前二作と同じく失敗に終わった。しかし、日本の芸者とアメリカ人士官のこの悲恋劇は、エキゾチシズムの点で、黄金狂時代のアメリカを舞台にした『西部の娘』(1910ニューヨーク初演)や、中国に取材した遺作『トゥーランドット』より成功している。以上の三大作は、いずれも初演時には高い評価を受けなかったとはいえ、現在ではオペラの主要なレパートリーとして根強い人気をもっている。とくに『蝶々夫人』は日本でもっともポピュラーなオペラの一つとして親しまれ、また古くは三浦環(たまき)から東敦子(あずまあつこ)(1936―1999)、林康子(はやしやすこ)(1943― )に至るまで、日本人プリマドンナが世界の檜(ひのき)舞台で活躍するための「切り札」の作品ともなっている。
そのほかの作品に、オペレッタ的な『燕(つばめ)』(1917モンテ・カルロ初演)と、三部作『外套(がいとう)』『修道女アンジェリーカ』『ジャンニ・スキッキ』(1918ニューヨーク初演)がある。いずれも一幕からなる三部作の前二作はなまぬるい作風だが、第三作はベルディの晩年の喜劇『ファルスタッフ』に比すべき、唯一の傑作喜劇である。遺作『トゥーランドット』は最後の二重唱まで書き上げてあったが、未完成のままブリュッセルに没したので、死後アルファーノFranco Alfano(1875―1954)によって完成され、1926年ミラノで初演された。
プッチーニのオペラの魅力は、彼の生来もっている演劇的感覚が、叙情味あふれる親しみやすい旋律や緊密な管弦楽法などとともに、リアリティーに富む、生き生きとした独特の舞台効果をもたらしている点にあるといえよう。
[船山信子]
『M・カーナ著、加納泰訳『プッチーニ――生涯・芸術』(1967・音楽之友社)』▽『M・カーナ著、加納泰訳『プッチーニ――作品研究』(1968・音楽之友社)』▽『宮沢縦一著『プッチーニのすべて』(1990・芸術現代社)』
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イタリアの作曲家。ベルディ以後イタリアの生んだ最大のオペラ作曲家。5代続いた音楽家の家系に生まれ,ミラノ音楽院でA.ポンキエリに学び,学友P.マスカーニと親しくなった。1884年最初のオペラを発表。93年3作目のオペラ《マノン・レスコー》で成功を収め,《ラ・ボエーム》(1896),《トスカ》(1900),《蝶々夫人》(1904)と傑作を書き続け,《トゥランドット》(未完。F. アルファーノが完成させて1926年初演)まで10曲のオペラを作曲した。
折から台頭したイタリアの写実主義(ベリズモ)の影響を根底にしているが,いずれも詩情あふれた作品である。音楽によって愛,性,死を描くに当たって,親近感,共感を得る女性として〈なんらかの罪を負い,負うことになる女性〉を主人公にし,人情味豊かな題材を取り上げており,全編にわたって抒情的な密度の高い表現力豊かな旋律が重なり合って現れ,一瞬の休みもない劇的緊張を盛り上げている。イタリア・ベリズモ作曲家の一人として,思想的にはR.ワーグナーに反発してはいるものの,ライト・モティーフや和声の用法など,ワーグナーの新鮮な技巧を取り入れている。同時にフランス印象主義の全音音階,5音音階的旋律,平行進行を含む和音の自由な結合,半音階的手法に基づく頻繁な転調,複雑な和声関係による調性のぼかしの効果の利用など,新しい技法を積極的に採用している。これらを管弦楽の色彩変化に巧みに融合させることによって,《蝶々夫人》の日本,《西部の娘》のアメリカ,《トゥランドット》の中国など,異国的表現を含む情景の雰囲気表出,および登場人物の性格描写,劇的展開の表現に成功している。
執筆者:武石 英夫
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…G.プッチーニ作曲の3幕のオペラ。1900年1月ローマのコスタンツィ劇場で初演。…
…プッチーニの4幕のオペラ。フランスの作家ミュルジェHenri Murger(1822‐61)の自己体験によってまとめ上げた短編集《ボヘミアンの生活情景》に基づくG.ジャコーザとL.イリカの台本に作曲,1896年トリノで初演した。…
※「プッチーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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