プリディー・パノムヨン(その他表記)Pridi Phanomyong

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プリディー・パノムヨン」の意味・わかりやすい解説

プリディー・パノムヨン
Pridi Phanomyong

[生]1900.5.11. タイ,アユタヤ
[没]1983.5.2. フランス,パリ
タイの政治家。首相在任 1946.3.~8.)。Pridi Banomyongとも綴る。パリ大学に学び,帰国後司法省に勤務。1932年ピブン・ソンクラームとともに立憲革命に参加。1933年企業を国有化する経済政策を発表して混乱を招き,一時海外に亡命した。帰国後はプラヤー・パポン内閣の内務大臣および外務大臣歴任,1938年以後はピブン内閣の財務大臣を務めた。1941年12月ピブンの親日政策に反対して辞任北部に独立政権を樹立しようとしたが失敗した。その後抗日工作を組織,自由タイ運動を指導。1946年3月首相となったが,同 1946年6月国王ラーマ8世が銃弾を受け死亡,その責任を問われ 8月に辞任した。1947年ピブン派によるクーデターのため中国に亡命。1970年初めフランスへ移った。

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