日本大百科全書(ニッポニカ) 「自由タイ運動」の意味・わかりやすい解説
自由タイ運動
じゆうたいうんどう
第二次世界大戦中に、タイ国内と国外で連係工作した抗日情報活動。1942年春に駐米タイ国公使が在米タイ人留学生を指導して運動を組織、同年6月に在英学生が同じ組織を結成し、タイ国内でも8月に摂政(せっしょう)プリディが率いる地下組織が発足した。米英両軍所属の運動工作員は、43年夏までにインドのカルカッタ(現コルカタ)と中国雲南省の昆明に進駐し、同年秋から数隊に分かれてタイ国内へ潜入、国内組織と協力してタイ駐留日本軍の情報を連合軍へ打電した。プリディは中国華南に抗日自由タイ政権を樹立する計画と連合軍の進撃に備えて、国内で武装蜂起(ほうき)する計画を説いたが、ドゴールの自由フランス運動をまねた上記の計画について、連合軍側の許可を得られないうちに終戦を迎えた。45年10月連合軍占領下のバンコクで約8000人の自由タイ部隊は自主的に解散した。当時の欧米留学生だった幹部隊員のなかには、戦後タイの政財界指導者となった人物が多い。
[市川健二郎]