インド北部,ウッタル・プラデーシュ州中央部の地方都市。古名カーニャクブジャ。州最大の工業都市カーンプルの北西約80km,ガンガー(ガンジス)川右岸に位置する。人口4万1000(1981)。7世紀初頭,ガンガー川中流域を統一したハルシャ・バルダナ王の首都として栄えた。8~10世紀のグルジャラ・プラティーハーラ王朝時代に歴代の王が芸術を愛し,ヒンドゥー教とともに仏教も保護したので,町は古代北インドの一大文化中心地となった。1018年にイスラム教徒マフムードの攻略を受け,13世紀にイスラム教徒の完全な支配下に入ってからは一地方都市となった。市内にはジャイナ教風の柱を持つモスクの一部や,イスラム教徒の城主マダンシャーの墓廟が残る。
執筆者:中山 修一
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北インドの古代都市。ウッタル・プラデシュ州中央部、ガンジス川の支流の川岸にあり、古くから名が知られた。サンスクリットではカーニヤクブジャKanyākubja(「腰が曲がった乙女」の意味)という。中国・唐の僧玄奘(げんじょう)は羯若鞠闍と音訳し、曲女と意訳している。6世紀にマウカリ朝の都市であったが、7世紀初めにハルシャが都を設けて大都市として繁栄し、その後600年間北インドの政治、文化の中心地となった。8世紀のヤショーバルマン王を経て、プラティーハーラ朝のもとで栄え、11世紀後半以後ガーハーダバーラ朝の都となり、1118年にガズナ朝の侵略を受け、12世紀末にはゴール朝の軍隊によって征服された。
[山崎利男]
北インド,ウッタル・プラデーシュ州の都市。古地名をカーニャクブジャ(曲女(きょくじょ)城)という。マウカリ朝の都として6世紀頃から栄え,7世紀にはハルシャ・ヴァルダナが都を置き,以降北インドの政治・文化の中心となった。その後プラティーハーラ朝,パーラ朝による争奪をへて,プラティーハーラ朝およびガーハダヴァーラ朝の政治の中心となり,12世紀末のムスリム勢力による征服に至るまで栄えた。
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