現代外国人名録2016 「ヘンリーキッシンジャー」の解説
ヘンリー キッシンジャー
Henry Alfred Kissinger
- 職業・肩書
- 政治家,政治学者 キッシンジャー・アソシエーツ社会長 元米国国務長官・大統領補佐官,元ハーバード大学教授
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1923年5月27日
- 出生地
- ドイツ・フュルト
- 学歴
- ハーバード大学大学院〔1954年〕修了
- 学位
- 博士号〔1954年〕
- 受賞
- ノーベル平和賞〔1973年〕,地球市民賞〔2012年〕
- 経歴
- ユダヤ系。ナチス・ドイツの迫害を逃れ、1938年渡米。第二次世界大戦に従軍。’43年帰化。ハーバード大学で政治学を専攻、’54年博士号を得て’57年同大講師、’59年助教授、’62年教授兼国防問題研究室長となる。この間、’57年出版の「核兵器と外交政策」で戦略研究家として認められ、’61〜62年ケネディ、ジョンソンの民主党政権の防衛問題担当顧問を務め、’69年1月ニクソン大統領特別補佐官(国家安全保障担当)に。同年の日米繊維密約に深く関わったことがのちに公開された外交文書で明らかとなる。’71年米中国交回復のため“隠密外交”を展開。以後、両国間の有力なパイプ役となり、訪中は100回を越える。’73年1月ベトナム和平パリ協定に仮調印。同年9月国務長官に就任。同年12月ベトナム和平協定実現や第四次中東戦争収拾への貢献でノーベル平和賞を共同受賞。’74年ニクソン大統領辞任後もフォード大統領の下で国務長官に留任したが、’75年大統領補佐官兼務を解かれ、’77年1月国務長官も辞任した。’84年中米政策に関する大統領諮問委員会委員長として報告書提出。ブッシュ政権下では大統領外国情報諮問委員会委員を務めていたが、’90年2月辞任。その後、キッシンジャー・アソシエーツ社(ニューヨーク)のコンサルタント業務のほか、レブロン社取締役、CBSテレビ副社長など大手企業の役員、国際オリンピック委員会(IOC)のIOC2000委員会委員を兼任。2000年3月インドネシア大統領顧問に。著書に「アメリカの外交政策」(全3巻,1969年)、「キッシンジャー回顧録」「H.A.キッシンジャー・世界はこう動く」「キッシンジャー秘録」(全5巻,’79年)、「キッシンジャー激動の時代」(全3巻,’82年)他がある。来日多数。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報