ベネンソン

百科事典マイペディア 「ベネンソン」の意味・わかりやすい解説

ベネンソン

イギリス人権擁護運動家で弁護士。ロンドン生れ。オックスフォード大学卒業。1960年11月の新聞に,軍事政権下にあったポルトガルの学生2人がカフェで自由の乾杯をしたところ,逮捕されたうえに7年の刑に処せられたという記事が載った。これに衝撃を受けたベネンソンは,1961年5月にイギリスの《オブザーバー》紙とフランスの《ル・モンド》紙に〈忘れられた囚人たち〉と題した意見広告を投稿した。これが欧米反響を呼び,同年8月にイギリスでアムネスティ・インターナショナルが誕生,これが国際的人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルの設立につながった。なお,〈アムネスティ〉は英語で〈恩赦〉を意味する。同団体の草創期には,自ら活動資金を出資し,人権侵害の実地調査も行ったという。そして,人種宗教・肌の色や自らの信念を理由に囚われの身となった人々を〈良心の囚人〉と呼んだ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネンソン」の意味・わかりやすい解説

ベネンソン
Benenson, Peter

[生]1921.7.31. ロンドン
[没]2005.2.25. オックスフォード
弁護士,国際人権団体アムネスティ・インターナショナル AIの創設者。フルネーム Peter James Henry Solomon Benenson。1961年独裁政権下のポルトガルで,2人の学生が自由のために乾杯したことが原因で逮捕されたという新聞記事を読み,イギリスの『オブザーバー』紙とフランスの『ル・モンド』紙に「忘れられた囚人たち」と題する全面記事を投稿,人権侵害に苦しめられている「良心の囚人たち」の釈放を求めて 1年間,当該国政府に手紙を書くよう世界中の人に促した。「恩赦(アムネスティ)の嘆願」と呼ばれるこの運動はまたたく間に広まり,2005年現在,AIは 160ヵ国以上に 180万人の会員を擁する世界最大の人権擁護団体となった。1966年 AIの役職を正式に退いたが,その後も国際的な人権問題に取り組み続けた。1977年 AIはノーベル平和賞を受賞した。

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