改訂新版 世界大百科事典 「ペトラジツキー」の意味・わかりやすい解説
ペトラジツキー
Lev Iosifovich Petrazhitskii
生没年:1867-1931
ロシアの代表的法学者。キエフ大学卒業後ベルリン留学を経て,1898年から1918年までペテルブルグ大学教授。1905年の革命後カデット(立憲民主党)中央委員。17年の十月革命後ワルシャワ大学に迎えられ,31年みずからの生涯を絶つまで同大学教授の地位にあった。W.M.ブントの心理学,E.マッハの経験批判論の影響のもとに独自の心理学的法理論を構築した。〈命令的・帰属的〉性格をもつ〈倫理的情緒〉としての法的体験に法現象の基礎をみる立場から,実証法(公式法)の外に広く〈直観法intuitive law〉の存在することを主張し,この生きた〈直観法〉が固定した実証法の解体・再編に平和的・革命的に作用するという観点で法政策学を説いた。その学説は,ギュルビチ,ソローキン,ティマシェフNicholas S.Timasheff(1886-1970)を通じてアメリカやポーランドの法社会学に影響を及ぼしている。初期ソビエト法学にもその影響がみられる。主著は《道徳理論との連関における法と国家の理論》2巻(1907),《法における道徳研究序説》(1905)など。
執筆者:藤田 勇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報