マッハ(読み)まっは(英語表記)Ernst Mach

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マッハ」の意味・わかりやすい解説

マッハ
まっは
Ernst Mach
(1838―1916)

オーストリア物理学者。モラビア地方(現、チェコ領)出身。科学史や科学論の分野での業績でも知られている。見識ある父と芸術志向の母のもとで教育され、古典語、歴史、数学、音楽、詩をはじめ工芸や農事にも親しんだ。中級学校では博物や地理に関心を寄せ、ラマルクの進化論に接した。ウィーン大学に進んでからは数学、物理、哲学を専攻し、放電と電磁誘導を考察した論文で学位を得た。続いて同大学の私講師となり、実験室ではドップラー効果の問題と取り組み、講義や教科書では分子説の適用に心を傾けた。しかし、しだいに心理や生理の研究に転向し、分子・原子概念を否定する立場に移っていく。

 1864年グラーツ大学教授、1867年プラハ大学教授と歴任し、視覚、光の干渉や回折、流体(とくに、高速の気流や飛行体運動に関するもの)などの実験研究に業績をあげた。気体中の音の伝播(でんぱ)速度に対する飛行体の速度の比の値は、この時期の彼の貢献にちなんで、マッハ数とよばれる。一方、心理については、音感、時間感覚、運動感覚などの広範な研究を進めた。

 プラハ大学では、2年にわたる学長就任期を含め、次々と著書を発表した。そのなかに、有名な『歴史的・批判的に見た力学の展開』(初版1883年、以下9版。邦訳名『マッハ力学』)、『感覚の分析――物理的なものと心理的なものとの相関』(初版1886年、以下7版)が含まれる。1895年、母校ウィーン大学に戻って帰納科学の歴史と理論を講じたが、卒中にかかり1901年に教職を辞し、しばし政治に関与したのち、ミュンヘン郊外に引退、同地で没した。この間の主著として、『熱学の諸原理』(初版1896年、以下4版)、『認識と誤謬(ごびゅう)――研究心理試論』(初版1905年、以下5版。邦訳名『時間と空間』)があり、また遺著として『物理光学の諸原理』(1921)がある。

 科学史、科学論の面でのマッハの論究は、科学の構造、発展過程および基礎概念(時空、質量、熱量、エネルギーなど)の分析に資するところがあり、科学のなかに形而上(けいじじょう)学要素や絶対性、因果性などの概念を安易に導入することの弊を鋭く指摘し、われわれに与えられる感性的諸要素の間の相互関係を、最小の労力で、かつできるだけ簡単な形で記述するのが科学の使命であるとの説(思考経済の説)を主張した。

[高田誠二]

『伏見譲訳『マッハ力学』(1969・講談社)』『廣松渉他訳『感覚の分析』(1971・法政大学出版局)』『野家啓一訳『時間と空間』(1977・法政大学出版局)』『高田誠二訳『マッハ・熱学の諸原理』(1978・東海大学出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マッハ」の意味・わかりやすい解説

マッハ
Mach, Ernst

[生]1838.2.18. モラビア,ツラス
[没]1916.2.19. ミュンヘン近郊ハール
オーストリアの物理学者,哲学者。ウィーン大学卒業。グラーツ大学 (1864) ,プラハ大学 (67~95) の教授を経て,ウィーン大学科学哲学教授 (95) 。上院議員 (1901) 。空気中を動く物体の速さが音速をこえたときに空気の性質に急激な変化が起ることを指摘し,マッハ数の概念を導入した。また実験心理学的知見をふまえた新たな科学の認識論を展開。世界の究極的構成要素は,感性的諸要素 (色,音,熱から空間,時間をも含む) であるとする要素一元論を説き,諸要素間の連関を思惟経済の原則に従って記述することが科学の本分であるとした。むろん科学においては経験的に検証されない言明は無意味なものとして退けられる。こうした立場から,当時絶頂にあった力学的自然観の特権性を否定し,古典力学の理論体系の絶対時空間,因果律などの形而上学的性格を暴露してみせた。彼の思想はアインシュタインの相対性理論誕生に重大な影響を与えるとともに,ウィーン学団を中心とする論理実証主義的科学哲学に受継がれた。『感覚の分析』 (1886) ,『力学の発達-その批判的,歴史的考察』 (83) ほか著作多数がある。

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