ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボストン虐殺事件」の意味・わかりやすい解説 ボストン虐殺事件ボストンぎゃくさつじけんBoston Massacre 1770年3月5日,アメリカ,ボストンの街頭で市民とイギリス駐屯軍とが衝突し,投石した市民3名が兵に射殺され2名が瀕死の重傷を負った事件。 67年のタウンゼンド諸法や 68年以来市内に駐屯したイギリス軍に対する市民の日頃からの不満が,駐屯軍宿舎前に集った群衆と歩哨の争いに爆発し,救援に駆けつけた兵士の発砲により黒人水夫 C.アタックスら3人の殺害事件にまで進展した。 S.アダムズら急進派の駐屯軍撤退の要求により,マサチューセッツ湾植民地副総督 T.ハッチンソンは軍隊を一時港内の島に移動させ騒乱の拡大を防ぐことができた。発砲した兵士8人と隊長 T.プレストンは裁判にかけられたが兵士2人が軽い罪に問われたほか全員無罪となった。同年タウンゼンド諸法の茶条項を除く全面撤廃により,73年のボストン茶会事件まで植民地は一時的な平穏を取戻した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by