日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボフィル」の意味・わかりやすい解説
ボフィル
ぼふぃる
Ricardo Bofill
(1939―2022)
スペインの建築家。バルセロナの裕福な建築業者の息子として生まれる。バルセロナ高等建築学校(1955~1956)を経て、1957~1960年にスイスのジュネーブ建築学校で学んだ。
1963年、バルセロナに、建築家、エンジニア、社会学者、哲学者、芸術家などからなる建築集団タリエール・デ・アルキテクトゥーラ(スペイン語で建築工房)を設立し建築活動を始める。
活動初期の1960年代から1970年代初めにかけては、カタルーニャの伝統的建築にみられる形態を用いたリゾート施設群ラ・マンサネラ(1969~1983、バレンシア県カルペ)など、モダニズムを踏襲しつつ地域主義の作風をとっていた。やがて、大規模な計画にかかわる必要から、空間における要素の幾何学的構成に基づいた方法をとるようになり、その成果は集合住宅ウォールデン・セブン(1970~1975、バルセロナ)に結実した。
パリに事務所を設立した1970年以来、フランスのさまざまなニュータウン計画に携わるようになる。1970年代の末から1980年代前半には、アーケードと橋(1982、ベルサイユ)、アブラクサスの宮殿・劇場・凱旋(がいせん)門(1982、フランス北東部マルヌ・ラ・バレ)やアンチゴネー(1983、モンペリエ)、バロックのスケール(1985、パリ14区)など古典主義の要素を大胆に取り入れた大規模な集合住宅を完成し話題をよんだ。これらの作品にみられる、オーダー、ピラスター(装飾用の壁柱)、基階・主階・屋階の3層構成とその微妙な変形、転倒したようなプロポーション、軽さと重さの混じった感覚、壮大なバロック的空間などの特徴をもつ作風は「ポスト・モダン・クラシシズム」ともよばれた。
さらに、1980年代なかばには、古典主義とハイテクを融合させた作風を確立し、いっそうの人気と評価を獲得した。以後、バルセロナとパリを拠点にしながら、ヨーロッパのほか、アメリカ、日本など世界各地で活動し、バルセロナ国際空港(1991)などの巨大プロジェクトも数多く手がける。
日本での作品にはユナイテッドアローズ原宿本店(1992、東京都)、明治生命青山パラシオ(1999、東京都)、東京銀座資生堂ビル(2001)がある。
[秋元 馨]
『石上申八郎訳『リカルド・ボフィール――建築を語る』(1987・鹿島出版会)』▽『太田泰人訳『空間を生きる』(1996・鹿島出版会)』▽『『世界の建築家 リカルド・ボフィル/タリエール・デ・アルキテクトゥラ』(1985・エーディーエー・エディタ・トーキョー)』▽『「特集リカルド・ボフィール」(『SD』1993年10月号・鹿島出版会)』▽『「特集リカルド・ボフィール1995-2000」(『SD』2000年3月号・鹿島出版会)』