モダニズム(読み)もだにずむ(英語表記)modernism

翻訳|modernism

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モダニズム」の意味・わかりやすい解説

モダニズム(芸術思潮)
もだにずむ
modernism

芸術思潮で近代主義という。初めは新興芸術派(とくに龍胆寺雄(りゅうたんじゆう)ら)が1930年ごろから、カフェーとかダンスホールとかダンサーとかアパートとかネオンサインとかという当時の新風俗で作品を装った、そのモダンなようすをめぐってモダニズムということばが生まれた。しかし、やがてそういう軽薄な意味合いでなく、西欧20世紀文学のまったく新しい文学観念・方法・技法などのさまざまなものを、さまざまに移植または継承・発展させる動きが始まり、その動向の全体をモダニズムというようになった。この変化はすでに新興芸術派自体のなかにはらまれていたが、第二次世界大戦下にかけて新心理主義、シュルレアリスム、主知主義その他において若干の発展がつくりだされ、さらに敗戦後には大幅に全面的に展開するようになった。

 19世紀文学との際だった対立においての20世紀文学は、日本でもマルクス主義によるプロレタリア文学と個人主義のモダニズム文学として展開する。ともに伝統とは対立しながら、この相対立する二つの流れは、同時代の生身の芸術家たちによって担われていたために、実際にはさまざまに絡み合い、また移行しあってもいるが、この対立自体は本質的なものである。モダニズムの思潮は、昭和初年から10年代にかけて、プルーストジョイスバレリージッド、D・H・ローレンスらの作品の翻訳と研究を通してしだいに発展し、横光利一(よこみつりいち)の『機械』(1930)、川端康成(やすなり)の『水晶幻想』(1931)、堀辰雄(たつお)の『聖家族』(1930)、伊藤整(せい)の『感情細胞の断面』(1930)、石川淳(じゅん)の『普賢(ふげん)』(1936)などの試みが行われるようになり、それらはやがていちおうの土着と成熟に達する。しかし敗戦によってもう一度根本からモダニズムの洗い直しと存分な展開が図られるようになり、伊藤整、石川淳らの世代からマチネ・ポエティクのメンバーや安部公房(あべこうぼう)に至るまでの、さまざまな世代がそれに参加している。

小田切秀雄

『中村真一郎著『戦後文学の回想』(1963・筑摩書房)』『小田切進著『昭和文学の成立』(1965・勁草書房)』


モダニズム(カトリック教会の改革運動)
もだにずむ
modernism

19世紀末から20世紀初頭にかけてのカトリック教会内部における近代化的改革運動をいう。フランスのロアジ、イギリスのティレルらが代表者。カトリック教会は第1回バチカン公会議(1870)を境に、教義面でも制度面でも集権化の傾向を強めたが、他方、近代思想や学問からの乖離(かいり)も著しくなった。モダニズムはこうした状況下で、たとえばプロテスタント圏で発達した歴史学的方法により聖書を批判的に考察するなど、新しい視点の導入による改革を企てた。教皇ピウス10世(在位1903~14)はこれを不可知論、無神論などとして、回勅(1907)を発して徹底的に攻撃し、代表者の多くは破門された。第一次世界大戦後の状況の変化もあり、外面的には終息したが、その意図は部分的に典礼運動などのなかに継承されている。

[田丸徳善]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モダニズム」の意味・わかりやすい解説

モダニズム
Modernism

一般的には伝統主義に対する近代主義や現代主義を意味するが,狭義には宗教および芸術の分野における用語。宗教の分野では,近代科学の進歩によって伝統的な教義の根本的書き換えが要請されるという信念に基づくすべての見解を含んでいる。プロテスタントでは広く自由主義的な傾向や運動をさすが,狭義には 19世紀に始った科学主義によるローマ・カトリック教会の改革運動 (→近代主義 ) に限定される。芸術分野では広義には芸術理論,表現様式などにおける「現代ぶり」をすべて含む。 18世紀に古代文学に対して現代文学を尊重した人々がモダニストと呼ばれたのもその一例。狭義には第1次世界大戦から 1930年代にかけて勃興したモダン・アートの芸術運動をさし,フォービスム,表現主義,キュビスム,ダダ,シュルレアリスムなどが代表的なもの。文学では象徴主義の流れをくむ純粋詩,心理主義の小説などがそれと目された。

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