パレ(読み)ぱれ(英語表記)Ambroise Paré

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パレ」の意味・わかりやすい解説

パレ
ぱれ
Ambroise Paré
(1510―1590)

フランスの外科医。医学史家ガリソンFielding H. Garrison(1870―1935)は、ハンターリスターパレを史上最高の3人の外科医とよんだ。ラバル生まれ。床屋外科医に弟子入りし、19歳でパリのオテル・ディユ病院で働いた。1536~1545年イタリアの野戦従軍戦傷の治療経験を積んだ。その経験を記した『銃創の処置法』(1545)は名著とされている。ただし、彼は正規の教育を受けなかったので、ラテン語でなくフランス語で書いた。四肢の切断術の改良、とくに止血のために、それまで慣用されてきた焼灼(しょうしゃく)法にかえて血管結紮(けっさつ)を採用して成果をあげている。外科医としての名声が高かったので、学歴をもつ外科医の団体コレージュ・ド・サンコームへとくに入会を許され、またアンリ2世、フランソア2世、シャルル9世の侍医を務めた。彼のことば「私は彼に包帯し、神が彼を癒(なお)した」は、しばしば引用される。

中川米造

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パレ」の意味・わかりやすい解説

パレ
Paré, Ambroise

[生]1510/1517. ラバル近郊
[没]1590.12.20. パリ
フランスの医者。ルネサンス期の著名な外科医で,「近代外科の父」といわれる。 1533年頃パリに出て,理髪外科医徒弟を経てオテル・デュー (市立病院) で3年間外科を修業。 37年軍医となり,イタリア戦線で軍陣外科,特に銃創の治療経験を積み,創部を軟膏でなおすなど,種々の治療法を創案した。当時理髪師出身者には異例のサン・コム学院の会員にも推され,52年からアンリ2世,フランソア2世,シャルル9世,アンリ3世の侍医を歴任し,63年外科侍医頭。かたわら一般診療も行い,血管結紮法,義肢などは彼の着想に負う。箴言「われ包帯し神癒やす」は有名。主著"Les Oeuvres de M. Ambroise Paré" (パレ全集) は 17世紀に日本に輸入され,紅毛外科の発展に影響を与えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android