フランスの外科医。医学史家ガリソンFielding H. Garrison(1870―1935)は、ハンター、リスターとパレを史上最高の3人の外科医とよんだ。ラバル生まれ。床屋外科医に弟子入りし、19歳でパリのオテル・ディユ病院で働いた。1536~1545年イタリアの野戦に従軍、戦傷の治療経験を積んだ。その経験を記した『銃創の処置法』(1545)は名著とされている。ただし、彼は正規の教育を受けなかったので、ラテン語でなくフランス語で書いた。四肢の切断術の改良、とくに止血のために、それまで慣用されてきた焼灼(しょうしゃく)法にかえて血管結紮(けっさつ)を採用して成果をあげている。外科医としての名声が高かったので、学歴をもつ外科医の団体コレージュ・ド・サンコームへとくに入会を許され、またアンリ2世、フランソア2世、シャルル9世の侍医を務めた。彼のことば「私は彼に包帯し、神が彼を癒(なお)した」は、しばしば引用される。
[中川米造]
〈近代外科学の父〉と称されるフランスの外科医。ラバル近郊で指物師の子として生まれ,床屋外科を志し,1532年か33年ころパリに上京,オテル・ディユ病院で働きながら医学を学んだ。2度の戦役従軍のあと,45年に《火縄銃その他の火器による創傷の治療法》という論文を発表した。52年アンリ2世の王宮付外科医,62年シャルル9世付外科主典に登用され,床屋外科出身で初めて外科師匠maître de chirurgieの資格をとった。旧来の学説にとらわれることなく,銃創の軟膏療法,四肢切断術の改良などの新しい治療法を,ラテン語ではなくフランス語で発表したことは注目される。彼は博愛心に富み,経験を重んじ,謙虚で,〈われは処置し,神はいやしたもう〉の名言をのこした。解剖学,伝染病論,産科学などにも及ぶその業績の集大成《パレ全集》は75年の初版以来10版を重ね,一部が蘭学時代に楢林鎮山(ならばやしちんざん)によって抜粋され,《紅夷外科宗伝》としてまとめられた。
執筆者:古川 明+二宮 敬
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…場合によっては,城と同格のこともある。ヨーロッパでは,英語のパレスpalace,フランス語のパレpalais,ドイツ語のパラストPalast,イタリア語のパラッツォpalazzoといった語に対応するが,それらの意味するところは,地域や時代によって異なる。とりわけパラッツォは,近世以降のイタリアの貴族や大ブルジョア層が築いた壮大な都市住居(邸館)を指した。…
…また〈日本国〉なる課では,〈たふとき天皇ましまして,民をみること子のごとし〉と〈天皇の国〉たることを説き,天皇に帰一する国家意識の育成をはかろうとした。こうした教育こそは,国家祝祭日を国旗を出さねばならない日とみなして〈ハタ日〉と称し,日常生活の折り目をなす固有なる祝祭日を〈ハレ日〉とする感覚を生じた。このハタ日とハレ日という二重感覚こそは,ヨーロッパ君主国にならうことで〈文明の国〉たらんとした政府の施策に対し,民衆の日常生活を場とした秩序感覚を具体的に示したものにほかならない。…
…浄化の儀礼的手段にしても罪は祓除すなわち祓(はらい)として一種の贖い(贖物(あがもの))によるが,穢は一定期間の非日常的な謹慎のあと禊(みそぎ)すなわち水浴による清めを要する。罪と穢は共同体の日常的安定に災いをもたらす原因としても忌避されるが,とくにハレ(晴)の行事すなわち非日常的な神事にあたっては普段にも増して聖浄な状況を要するため,斎戒において罪穢は一体となって禊祓の対象となる。しかしながら穢の浄化には一定期間の忌服を要するため,神事への参与を妨げるばかりか神事の中止や延期など執行の支障をともなった例が六国史その他の記録に多い。…
※「パレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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