朝日日本歴史人物事典 「ポルスブルック」の解説
ポルスブルック
幕末維新期のオランダの外交官。安政5年1月26日(1858年3月11日),日蘭修好通商条約交渉のために上京する全権領事官ドンケル=クルティウスの秘書官として共に長崎を出発,同年7月10日(8月18日)同条約は締結された。翌年7月,役人の身分を捨て商人になっていたポルスブルックは神奈川駐在のオランダ副領事に任命され,文久3(1863)年には第2代の駐日オランダ総領事兼外交代表につき,明治1(1868)年7月まで在任した。文久3年5月26日(7月11日),彼の乗るオランダ船メジュサ号は長崎から横浜に向かう途次,下関で長州藩の砲撃を受け同船者に5名の死者を出している。この事件はいわゆる四国艦隊下関砲撃事件の一因となった。<参考文献>大塚武松『幕末外交史の研究』
(内海孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報