ポンヌフ(読み)ぽんぬふ(英語表記)Pont Neuf

デジタル大辞泉 「ポンヌフ」の意味・読み・例文・類語

ポン‐ヌフ(Pont Neuf)

フランス語で新しい橋の意》パリ市内を流れるセーヌ川に架かる橋。シテ島西端を中継点として北岸南岸をつなぐ。南側五つ北側七つ石造りアーチをもち、1604年に完成した。現存するものとしてはパリで最古の橋。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポンヌフ」の意味・わかりやすい解説

ポン・ヌフ
ぽんぬふ
Pont Neuf

フランス、パリ市内セーヌ川のシテ島を間に挟んで、その両側に架けられた石造アーチ橋。1604年に完成し、片側は5径間、反対側は7径間の楕円(だえん)に近い形状の石造アーチからなり、橋脚には三角形状の水切りを設けた重厚な外観をもつ名橋である。国王アンリ4世は、当時流行していた橋上の不法建築を防ぐため、世界で初めてこの橋の両側に歩道を設けた。橋のたもとにはその騎馬像がある。現在の橋は19世紀になってから改築されたもの。

[堀井健一郎]


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世界大百科事典(旧版)内のポンヌフの言及

【アンリ[4世]】より

…こうして絶対王政の基礎を築く一方,1600年にはマリー・ド・メディシスと再婚,翌年王太子ルイを得た。04年,セーヌ川最初の石橋ポン・ヌフも完成,治世は繁栄に向かうと見えたが,旧教徒ラバイヤックF.Ravaillacによって暗殺された。ユグノー戦争【林田 伸一】。…

【シテ[島]】より

… 18世紀のシテ島の景観は次のように変化していた。西端には1607年に完成のポン・ヌフ橋が威容を示し,それに隣接するかつての〈王の牧場〉には,アンリ4世の構想になるドフィーヌ広場が建設された。パレ・ド・ジュスティスとノートル・ダム大聖堂の間には貧民街が形成されていた。…

【橋】より

…しかし,ルネサンス時代が深まると,多少の装飾は見られるものの,石造アーチは簡潔な姿に戻る。1604年完成のパリ,セーヌ川のヌフ橋(ポン・ヌフPont Neuf)はその代表的な例である。棒状部材を組み立てたトラスは,このころイタリアのA.パラディオにより考案されたが,実際に初のトラス橋をつくったのは1757年,スイスの大工グルベンマン兄弟Hans Ulrick & Johannes Grubenmannで,彼らはその後もライン川に支間100mを超す木造トラス橋を架けている。…

【パリ】より

…こうしてアンリ4世は94年パリに入城する。
[アンリ4世とポン・ヌフ]
 このとき,アンリ4世は最初の布告のなかで,水の不足に悩むパリ市民のために給水泉の修復を命じ,併せてこれまで特権階層がもっていた取水の優先権を制限した。また給水泉の工事のためのブドウ税を新設した。…

※「ポンヌフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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