マシケ場所(読み)ましけばしよ

日本歴史地名大系 「マシケ場所」の解説

マシケ場所
ましけばしよ

増毛郡浜益はまます郡にわたる一帯に設定された場所名。持場ともいう。増毛場所・マシケ領などとみえる(板本「西蝦夷日誌」)。当場所の開設は一八世紀初頭前後とされる(休明光記)。場所の中心地は当時マシケとよばれたハママシケであり、マシケは当時ホロトマリと称されていた。一七八〇年代にハママシケ場所とマシケ場所に分割された(近藤重蔵本「西蝦夷地分間」)。この南のハママシケとの領境はシラライで(「蝦夷日誌」二編)、北のルルモッペ場所との境はアフシラリ(現増毛町)であった(場所境調書)。しかしハママシケ領境はもとヲフイ(雄冬岬、現増毛町境)で、「公料の時」イナヲサキ(現増毛町)に変更、「今般の御改革」つまり一八五〇年代後半に再びヲフイに改めたともいう(場所境調書)。こうした場所の範囲は、一七八〇年代ルルモッペ場所の境標を勝手に移したことに酋長イマウカシテが大いに怒って元に戻した例からも知られるように(板本「西蝦夷日誌」)、当時のアイヌの有力者の勢力が及ぶところが反映されたものと考えられる。マシケ運上屋はホロトマリに置かれた(前掲調書)。天保郷帳では西蝦夷地蝦夷人居所之分の「マシケ持場」のうちとして「シリイト」「ヱンルモクマナヱ」「ホンナヱ」「ニナベツ」「モイ」「ヲタルマナヱ」「ヲタシリイト」「シヨカンベツ」「ポロトマリ」「シヤクマ」「シコベ」「ノフシヤ」がみえる。

当初は松前藩主松前家の直領または下国家の知行地で、支配所持名前帳(元禄一三年)に満志計とあり、下国宮内が当場所などを知行していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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