日本大百科全書(ニッポニカ) 「浜益」の意味・わかりやすい解説
浜益
はまます
北海道中西部、石狩(いしかり)支庁(現、石狩振興局)管内にあった旧村名(浜益村(むら))。現在は石狩市の北部を占める地域。旧浜益村は1907年(明治40)成立。2005年(平成17)、石狩市に編入。日本海に臨む旧村域の大部分は増毛山地(ましけさんち)で占められ、浜益川沿いに耕地がある。江戸時代は益毛(ましけ)といい、宝永(ほうえい)年間(1704~1711)からニシン漁で栄えた。旧村名は「益毛」に「浜」を加えたとする説(マシケの語源には諸説ある)、アイヌ語アママシュケ(穀物を煮る・背負うなどの意)によるとする説などがある。昭和30年代以降はニシン漁が衰微し、かわって稲作、メロン、ジャガイモなどの栽培、肉用牛飼育などの混合経営農業が主産業となり、種苗移植、稚魚放流などの栽培漁業も行われる。海浜公園や海水浴場があり、釣り客や海水浴客が訪れ観光地化も進む。1981年(昭和56)国道231号が全通した。JR函館本線、根室本線が通じる滝川市の商圏で、同市との間に国道451号が通じ、定期バスがある。庄内藩ハママシケ陣屋跡は国指定史跡。ニシン番屋(1899年造)がはまます郷土資料館となっている。
[奈良部理]
『石橋源著『浜益村史』(1980・浜益村)』