新撰 芸能人物事典 明治~平成 「マダム花子」の解説
マダム花子
マダムハナコ
- 職業
- 女優
- 本名
- 太田 ひさ
- 別名
- 別名=太田 花子(オオタ ハナコ)
- 生年月日
- 慶応4年 4月15日
- 出生地
- 尾張国中島郡祖父江村(愛知県 尾西市上祖父江)
- 経歴
- 名古屋の青果商に養女に出され、10歳のとき旅回りの一座に預けられる。2度の結婚に失敗し、デンマークで開かれる博覧会の余興の一座に応募、明治35年33歳でコペンハーゲンへ。37年日本人一座を結成し、女座長として20年間にわたり欧米18ケ国を巡業。136センチの小柄な体で体当たりの演技を見せ、“ハラキリ”“ゲイシャ”などの芝居が一世を風靡した。フランス・マルセイユでの舞台を見た彫刻家ロダンに頼まれ、「死の首」のモデルを務めたことからロダン夫妻と親密な交際を続け、夫妻の死後大正10年53歳で帰国。晩年を岐阜市で過ごした。森鴎外の短編「花子」の主人公でもある。
- 没年月日
- 昭和20年 4月2日 (1945年)
- 親族
- 孫の夫=沢田 助太郎(岐阜女子大学教授)
- 伝記
- ロダンと花子―ヨーロッパを翔けた日本人女優の知られざる生涯ハナコの首―ロダンとスタニスラフスキーを魅了した女優ロダンと花子 資延 勲 著秋元 藍 著沢田 助太郎 著(発行元 文芸社講談社中日出版社 ’05’00’96発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報