現代外国人名録2016 「マライアキャリー」の解説
マライア キャリー
Mariah Carey
- 職業・肩書
- 歌手
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1970年3月27日
- 出身地
- ニューヨーク州ロングアイランド
- 受賞
- グラミー賞(最優秀新人賞・最優秀ポップ・ボーカル賞,第33回)〔1990年〕,ビルボード・アワード年間ホット100シングルアーティスト・スペシャル・ホット100シングルアーティスト〔1996年〕,アメリカン・ミュージック・アワード功労賞〔2000年〕,グラミー賞(3部門)〔2006年〕
- 経歴
- 父はベネズエラ出身のアフリカ系技師、母はイリノイ州出身のアイルランド系米国人。3歳の時、シティ・オペラのソリストだった母の影響で歌う喜びに魅せられる。以来、歌の才能に磨きをかけるだけでなく、作曲やアレンジの勉強にも励む。16歳の時、初めてデモテープを制作。1990年5月コロムビアレコードよりシングル「ヴィジョン・オブ・ラヴ」、6月アルバム「マライア」で念願の歌手デビュー、シングルは全米1位のビッグ・ヒットを記録。セカンドアルバム「エモーションズ」もヒットし、’91年音楽誌「ビルボード」年間ヒットチャートでポップス部門第1位となる。同年グラミー賞など数々の賞を獲得し、米国ポピュラー界のスター・エンターテイナーの一人となる。’97年新レーベル・CRAVEを設立、アーティストのプロデュースも手がける。’98年ベストアルバム「The Ones(ザ・ワンズ)」を発売、日本でも350万枚を記録するヒットとなる。2000年シングル「サンク・ゴッド・アイ・ファウンド・ユー」が「ビルボード」で全米1位を獲得、同作品で15曲全米1位となり、現役アーティストでは1位、ビートルズ、プレスリーに続く歴代3位を記録。2001年アルバム1枚につき2000万ドル(約25億円)という破格の契約料でヴァージン・ミュージック・グループに移籍。2002年ビバンディ・ユニバーサルに移籍。2005年アルバム「MIMI」が世界で1000万枚を売り上げる大ヒットを記録。2006年のグラミー賞では3冠を獲得した。7オクターブの声域を持つと言われる。他のアルバムに「ミュージック・ボックス」(1993年)、「メリー・クリスマス」(’94年)、「デイ・ドリーム」(’95年)、「RAINBOW」(’99年)、「チャームブレスレット」(2002年)、「E=MC2(イー・イコールズ・エム・シー・スクエアード)」(2008年)などがある。女優としても活動し、1999年「プロポーズ」で映画デビュー。2001年「グリッター」で映画初主演。1993年初来日、’96年3月日本での初公演を行う。以後、度々来日。2008年日テレ系プロ野球中継「PRIDE & SPIRIT 日本プロ野球2008」のイメージソング「ラヴィン・ユー・ロング・タイム」を担当。私生活では、1993年ソニー・ミュージック社長のトーマス・モートラと結婚するが、’98年離婚。2008年ラッパーで俳優のニック・キャノンと再婚。2011年男女の双子を出産。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報