マーリーンオッティ(その他表記)Merlene Ottey

現代外国人名録2016 「マーリーンオッティ」の解説

マーリーン オッティ
Merlene Ottey

職業・肩書
陸上選手(短距離) アトランタ五輪陸上女子100メートル銀メダリスト

国籍
スロベニア

生年月日
1960年5月10日

出生地
ジャマイカ・ボンドサイド

学歴
ネブラスカ大学(芸術学)卒

経歴
18歳で陸上の国際舞台に登場。1980年モスクワ五輪女子200メートル銅メダル。◆’84年ロス五輪100、200メートルともに銅メダル。◆’88年ソウル五輪200メートル4位。アシュフォード、ジョイナーらに押さえられ世界的な大会では勝てなかったが、スプリンターとしては異例の息の長さで、’89年100、200メートルで世界ランク1位に輝き、’90年には60メートルから400メートルまで36戦全勝の快記録を残す。◆’92年2月国際陸上室内競技会(マドリード)で60メートルに6秒96の室内世界記録をマーク。同年バルセロナ五輪200メートルで銅メダル、100メートル5位。’93年2月国際陸上室内競技会(リーバン)で200メートル21秒87の室内世界記録をマーク。同年世界選手権シュトゥットガルト大会200メートルで悲願金メダル獲得。100メートルではライバルのゲイル・ディバーズ(米国)に僅か1000分の1秒差で敗れ銀メダル。’95年8月世界選手権イェーテボリ大会200メートル優勝。同年ジャマイカの親善大使に任命される。◆’96年5度目のオリンピックとなったアトランタ五輪100メートルではディバーズに1000分の5秒差で負け銀メダル。’97年世界選手権アテネ大会200メートル3位。◆’99年陸上スイス国際競技会のドーピング検査陽性反応が出たことが判明、出場停止処分を受ける。◆2000年7月国際陸連(IAAF)から出場停止処分が解かれ、同月イタリア・サルデーニャ島での大会で復帰。同年シドニー五輪100メートルは4位、4×100メートルリレーでは銀メダルを獲得し、五輪での陸上女子最年長メダル獲得記録を更新。ジャマイカに数多くのメダルをもたらした。◆◆その後、世代交代を主張するジャマイカ陸上連盟と衝突し、2002年5月長年師事したコーチの出身国スロベニアの市民権を取得。2004年スロベニア代表としてアテネ五輪に出場。7度の五輪出場は女子選手としては最多だが、五輪では銀3個、銅6個と金メダルに縁がなく、“ブロンズ・コレクター”とも呼ばれた。◆◆2005年世界選手権大阪大会100メートル出場(1次予選敗退)。2010年欧州選手権の4×100メートリレーで、50歳でアンカーを務め、同選手権の最高齢出場記録47歳を大きく更新した。2012年の欧州選手権にも出場。◆◆若い頃は174センチ、57キロの抜群のスタイルでモデルを務めたこともある。

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最新 世界スポーツ人名事典 「マーリーンオッティ」の解説

マーリーン オッティ
Merlene Ottey
陸上

陸上選手(短距離)
生年月日:1960年5月10日
国籍:スロベニア
出生地:ジャマイカ・ボンドサイド
学歴:ネブラスカ大学卒
経歴:18歳で陸上の国際舞台に登場。1980年モスクワ五輪女子200メートル銅メダル。’83年世界選手権ヘルシンキ大会100メートル4位、200メートル2位。’84年ロス五輪100、200メートルともに銅メダル。’87年世界選手権ローマ大会100、200メートルともに3位。’88年ソウル五輪200メートル4位。アシュフォード、ジョイナーらに押さえられ世界的な大会では勝てなかったが、スプリンターとしては異例の息の長さで、’89年100、200メートルで世界ランク1位に輝き、’90年には60メートルから400メートルまで36戦全勝の快記録を残す。’91年世界選手権東京大会100、200メートル各3位。’92年2月国際陸上室内競技会(マドリード)で60メートルに6秒96の室内世界記録をマーク。同年バルセロナ五輪200メートルで銅メダル、同100メートル5位。’93年2月国際陸上室内競技会(リーバン)で200メートル21秒87の室内世界記録をマーク。同年8月世界選手権シュトゥットガルト大会200メートルでは悲願の金メダルを獲得。100メートルではライバルのゲイル・ディバーズ(米国)にわずか1000分の1秒差で敗れ銀メダル。’95年8月世界選手権イェーテボリ大会200メートル優勝。同年ジャマイカの親善大使に任命される。’96年5度目のオリンピックとなったアトランタ五輪100メートルではディバーズに1000分の5秒差で負け銀メダル。同年9月TOTOスーパー陸上100メートルでディバースを抑え、優勝。’97年世界選手権アテネ大会200メートル3位。’99年陸上スイス国際競技会のドーピング検査で陽性反応が出たことが判明、出場停止処分を受ける。2000年7月国際陸連(IAAF)から出場停止処分が解かれ、同月イタリア・サルデーニャ島での大会で復帰。同年シドニー五輪100メートルは4位、4×100メートルリレーでは銀メダルを獲得し、五輪での陸上女子最年長メダル獲得記録を更新。ジャマイカに数多くのメダルをもたらした。その後、世代交代を主張するジャマイカ陸上連盟と衝突し、2002年5月長年師事したコーチの出身国スロベニアの市民権を取得。2004年スロベニア代表としてアテネ五輪に出場。7度の五輪出場は女子選手としては最多だが、五輪では銀3個、銅6個と金メダルに縁がなく、“ブロンズ・コレクター”とも呼ばれた。2005年世界選手権大阪大会100メートル出場(1次予選敗退)。2010年欧州選手権の4×100メートリレーで、50歳でアンカーを務め、同選手権の最高齢出場記録47歳を大きく更新した。2012年の欧州選手権にも出場。若い頃は174センチ、57キロの抜群のスタイルでモデルを務めたこともある。

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