改訂新版 世界大百科事典 「ミシュトン戦争」の意味・わかりやすい解説
ミシュトン戦争 (ミシュトンせんそう)
1541年から翌年にかけてヌエバ・ガリシア地方(現在のメキシコ市北西部)で起きたチチメカ族の反乱。ヌエバ・ガリシア地方はヌーニョ・デ・グスマン,ついでディエゴ・エルナンデス・デ・プロアーニョに征服されたが,インディアスの中で最も残酷かつ非道な侵略が行われた場所であった。その結果,征服後も虐待を加えられていたチチメカ族は激しい反スペイン感情を募らせていた。副王アントニオ・デ・メンドサの要請でシボラの七都を求めてアメリカ南西部探検に向かうバスケス・デ・コロナドがヌエバ・ガリシア地方のスペイン人を大勢徴発したため,同地方の防備が手薄になったことが反乱の契機となった。トラルテナンゴ,スチピルカを中心に勃発した反乱は,チチメカ族の神の復活とスペイン人の滅亡を説く呪術師に率いられ,メキシコ中央部や南部にまで広がる勢いを示した。反乱は副王みずからの出陣で1542年末に一応鎮圧された。このような行動は単なる武力反乱でなく,スペインによる支配体制を拒絶し,みずからの文化体系や価値観を守るためのものであり,チチメカ族が千年王国主義的な考えを抱いていたことで注目される。ミシュトンMixtónは各地で蜂起した反乱のうち,最も強固であった砦の名である。
執筆者:染田 秀藤
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報