一般に,苦しみのない至福の場所を表す語。パラダイスparadise(英語),パラディースParadies(ドイツ語),パラディparadis(フランス語),パラディゾparadiso(イタリア語)などのように,ヨーロッパ諸言語で〈楽園〉を表す語はすべて共通している。語源は古代ペルシア語pairidaēzaであり,原義は〈周囲をpairi囲われたdaēza〉で,王侯貴族がとくに獲物の多い土地を,自分たちの狩猟の楽しみのために囲い込んだ猟園を意味したらしい。そこにはすでに,生命維持の手段が十分に保証されていること,そして享楽の要素までがともなうこと,など楽園の要件がこめられている。各民族がそれぞれに抱き,発展させた楽園の神話や伝承は,おおよそ次の諸要件を含む。(1)その土地が囲われ守られていること。(2)外敵から遠くへだたり,もしできれば所在すら知られていないこと。(3)内部には食物,水など生命維持の手段が豊富であること。(4)気候温暖で,寒暑による苦痛からも守られていること。(5)男女の性的快楽も十分に保証されていること,である。
以上の諸要件を総合的に満足させるものとして,人類の想像力は二つの楽園の類型を作り出した。一つは〈洋上楽園〉,もう一つは〈山中楽園〉である。前者は洋上はるかに隔たり,荒海によって外敵から守られた島の楽園である。東洋の伝承でいえば,蓬萊(ほうらい),竜宮,補陀落(ふだらく)(補陀落渡海)などがこれにあたる。西洋の伝承では,古代ギリシア人が遠く太陽の沈む西方洋上に,祝福された死者の国ヘスペリアHesperia(西方の国)を想像し,とくに〈ヘスペリデスの園〉の伝説を生み出した。これは西の空に輝く宵の明星ヘスペロスHesperosの娘たち(ヘスペリデス)が,1匹の竜に助けられつつ黄金のリンゴを守る,常春(とこはる)の園のことである。この伝説は古代ローマ世界において,祝福された死者が行くとされたフォルトゥナタ・インスラFortunata Insula(幸せの島)の伝承と容易に結びついた。これは仏教思想における〈極楽〉と共通な考え方であり,しかもそれが西方に想定されたのだから,西洋でも浄土は西にあったということになる。なおこの〈島の楽園〉の具体的な位置は,当初は地中海世界の西端ジブラルタル付近に想定されたが,やがて地中海民族の行動半径の拡大にともなって,もっと西方の大西洋上のカナリア諸島に擬せられたりした。
〈山中楽園〉の東洋における典型は〈桃源境〉であろう。それは人知れぬ渓流をさかのぼったところに隠された常春の秘境である。またより近くはJ.ヒルトン作《失われた地平線》(1933)の舞台とされたシャングリラShangri-Laがある(シャンバラ伝説)。チベット語で〈肉切包丁の峠道〉を意味するというが,ここは険阻な細い峠道をたどってようやく到達できる秘境であった。このほかにも各種の隠れ里伝説とからんで,この種の〈山中楽園〉は,洞穴や木の根元の穴をくぐり抜けた向こう側にあったり,秘密の谷川をさかのぼったその源にあったりすることが多い。その限りでは楽園は一種の母胎であり,人類の楽園回帰願望は胎内回帰願望だということもできよう。
西洋における〈山中楽園〉の典型はエデンの園である。それは普通には〈エデンという名の楽園〉を意味するように解されているが,本来〈エデン〉はシュメール・アッカド語で〈平らな土地〉を意味したらしく,メソポタミア地方の平原を指したものとみなされる。とにかく古代イスラエルの伝説で,平原に一つの高い山がそびえ立ち,その頂に神の作りたもうた楽園があったとされるが,それが〈エデンの園〉にほかならない。そして人類の始祖アダムはその楽園に置かれた。しかしのちに妻イブ(エバ)とともに,禁断の知恵の木の実を食べたために,楽園から永久に追放される。人類が無知から知へ,無垢から経験へと移行するこの文明的体験は,個人の成長とのアナロジーを含んでおり,楽園という守られた小空間から荒野に追放されるというアダムの物語は,母胎から生み落とされる個体の体験を神話化しているともいえるだろう。ここでも楽園はある種の母胎であった。
エデンの楽園におけるアダムとイブの至福は,ヨーロッパ人の懐旧の情を刺激したから,とくにルネサンス期以降には多くの絵画の題材になった。また楽園内部の男女のだれはばからぬ性的快楽というテーマは,一部の文学的想像力の刺激となり,たとえばミルトン《失楽園》に表現を得ている。また楽園の縮小版を自己の周囲に造形しようとする衝動もあって,これが人類の造園の歴史と間接的に結びついているといえるだろう。理想的な地形を壁や塀で囲い込み,その内部に水を配し,果樹や花を植えるという西欧庭園の基本構造は,そのまま楽園の基本構造ともいえるのである。またこの種の〈囲われた庭(ホルトゥス・コンクルススhortus conclusus)〉が,〈悦楽の園(ホルトゥス・デリキアルムhortus deliciarum)〉としてしばしば男女の愛欲の場面として空想されたり,実際に利用されたのも,庭園が楽園であることを裏書きしているだろう。アラビア風庭園がナツメヤシなどに縁どられた池や噴水を豊かに配置するのは,その地域の文化にとって楽園の原型がオアシスであったからにほかならない。そしてその楽園には〈輝く黒い瞳と豊かな胸をもつおとめたち〉が待つのだと,コーランは語っている。中国や日本の庭園も楽園の地上版であるという側面をもった。池を豊かに配し,そこに蓬萊や瀛州(えいしゆう)などの神仙島を浮かべ,岸に須弥山(しゆみせん)をたてるなどの様式は,まさしく〈洋上楽園〉と〈山中楽園〉それぞれの縮小版を庭園内部に確保する行為にほかならない。浄土曼荼羅の図形を地上に映す日本の浄土庭園の設計理念は,もう一つの表れかたであった。
ユダヤ教とキリスト教の伝承では,神はアダムとイブを追放したあと,天使たちの炎の剣でエデンの園を守ることにした,とある。すなわち楽園への回帰は人類にとって厳禁されていることになる。したがってキリスト教の神学は,人類に普遍的な楽園回帰の願望を,天国希求の願望に昇華させるという方向を選んだ。かくして人類の歴史は,円環的にでなく直線的に把握され,はじめて真の意味での歴史の概念が導入されたといえるであろう。人類の歴史の究極の到達点である〈天国〉は,けっしてアダムとイブの住んだ素朴な楽園の焼直しではなく,文明の義(ただ)しい成熟の姿を示す都市,すなわち〈神の国〉でなければならなかった。
しかし神学的にはともかく人類の心情としては,地上のどこかになんらかの楽園が残っているのではないかという想像を,絶ち切ることができなかった。これは一般的にいえば〈ユートピア〉願望の一部であり,人類の空想を何世紀にもわたって刺激しつづけたし,中世から近世,そして現代にいたるまで,大小いくつもの探険の動機となった。とりわけヨーロッパ人の内部には,ギリシア・ローマ以来の伝説が生き続けていたし,現実にも嵐の後など西に面する海岸にヤシの実や見なれぬ丸木舟の残骸が打ち上げられることがあって,はるかな西方洋上に見知らぬ楽土があるのではないかという空想は,尽きることがなかった。大航海時代が始まって大西洋を西へ渡るヨーロッパ人のエネルギーの根底には,その種の古い楽園願望が強く作用していたと考えるべきである。スペイン人が南アメリカに求めたエル・ドラド(黄金郷)は楽園の変型であったろう。北アメリカ大陸の初期の英仏植民地(ルイジアナ,フロリダ,バージニアなど)は,それぞれ〈地上のエデン〉と認識され,また宣伝された。これらの土地に共通する楽園的要素として,気候温暖であること,果実や獣肉魚肉など食料が豊富であること,裸で暮らす原住民がアダム,イブの素朴さを連想させたことである。このような考え方が幻想にすぎないことを,ヨーロッパ人たちはすぐに思い知らされるのであるが,それでもなんらかの楽園を求めて西へ移動するエネルギーが枯渇することはなかった。アメリカ開拓の歴史の根底には,ヨーロッパの古い楽園神話が作用していたと考えてよいであろう。
しかし楽園の神話は,荒野の認識と並行し,しばしば競合しなければならなかった。とりわけ比較的北部に多く移住したピューリタン(清教徒)たちにとって,彼らの直面した気候風土はきびしいものであったから,楽園を空想する余地はなかったといえる。また彼らの信仰は,その種の退行的で官能的な願望を拒否する厳格さをそなえていた。彼らにとって新大陸は,むしろその自然と闘争しそれを克服して,新しい理想の文明,いわば〈神の国〉を建設すべき,チャレンジの機会であったのだろう。かくしてアメリカの商工業文明は,楽園願望の否定の上に成立した側面ももつ。いっぽう信仰の内面性を強調するプロテスタント神学からは,楽園は個人の信仰心の内部に成立するという主張が生まれた。〈内なる楽園〉の思想である。これは〈天国は汝らの内にあり〉とする福音書の教えとも合致する。しかし同時にこの教えを〈……汝らの間に……〉と理解する解釈もあるわけで,アメリカに多い各種信仰団体には,信者同士の集りを新しい楽園意識でとらえているものもある。新しい信仰のコミュニティはしばしばこのような動機から設立される。
この反面,古くから人類に共通する退行的・官能的な楽園願望は,観光資本によって商業的に利用され続けている。大西洋上のカナリア,バミューダ,バハマなどの諸島や,太平洋上のハワイ,タヒチなど,またインド洋上のモーリシャス島などは,つねに〈地上最後の楽園〉として宣伝され,観光客をひきつけている。またチベットその他の山中のいわゆる秘境が,〈山中楽園〉のイメージを添えて宣伝されることも少なくない。いっぽうパリの大通りシャンゼリゼは,〈エリュシオンの野〉から由来しており,ギリシアの楽園神話にもとづく命名であるし,世界の各都市の歓楽街に〈エデン〉〈シャングリラ〉などのネオンがまたたく光景は,人間の楽園願望が不変であることを裏書きしているだろう。
→庭園 →天国 →ユートピア
執筆者:川崎 寿彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…神は,この後者の木の実を食べた最初の夫婦を追放した後,エデンの入口には,暴風の雲と稲妻の象徴であるケルビムと回る炎の剣を置いて,再び人が入れないようにした。エデンに置かれていた最初の人アダムには,園の耕作と保守の任務が神から与えられていたので,労働のない単なる楽園ではなかったが,自然および他者との関係において祝福された状況にあった。《イザヤ書》51章および《ヨエル書》2章におけるエデンは,荒廃と対照されている。…
…このために大名たちは江戸と領国の両方に庭園をもつ邸宅を構えた。江戸につくられた庭園の中で有名な後楽園について説明しよう(図6)。この庭園は徳川光圀が明の朱舜水を招いて設計に参加させたといわれるだけあって,中国的,儒教的な趣好が濃厚である。…
…一般に,天上にあるとされる神的世界をいう。比喩的に至福の理想郷=楽園の意で用いることもあり,その場合はしばしば地獄と対比される。特にユダヤ教,キリスト教,イスラムの伝統における他界観念として重要で,〈天国〉の語もkingdom of heavenの訳である。…
※「楽園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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