アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のニューヨーク・ジャイアンツ(1958年よりサンフランシスコ・ジャイアンツ)、ニューヨーク・メッツで外野手としてプレー。通算ホームラン660本という強打、4年連続盗塁王となった俊足、超人的な美技を連発した守備と、すべてを兼ね備え、「パーフェクト・プレーヤー」とよばれた大スターである。
5月6日、アラバマ州ウェストフィールドで生まれる。1950年、ジャイアンツに入団。2年目には大リーグに昇格して打率2割7分4厘、ホームラン20本、打点68の好成績をあげて新人王に選ばれた。1952年の5月末から兵役につき、1954年に復帰。この年、打率3割4分5厘で首位打者を獲得したうえにホームラン41本、打点110をマークして、リーグ優勝に貢献した。ワールド・シリーズではクリーブランド・インディアンス(2022年よりクリーブランド・ガーディアンズ)と対戦。第1戦で、打球を見ずに背走して捕球した「ザ・キャッチ」とよばれるスーパー・プレーをみせた。これがきっかけでジャイアンツはワールド・シリーズを制し、最優秀選手(MVP)に選ばれた。1955年は本塁打王、1956年からは4年連続して盗塁王となった。1962年、1964年、1965年に本塁打王となり、1965年は2回目のMVPも受賞した。1972年のシーズン途中でメッツへトレードされ、1973年のシーズン限りで引退した。
実働22年間の通算成績は、出場試合3005、安打3293、打率3割1厘、本塁打660、打点1909、盗塁339。獲得したおもなタイトルは、新人王、首位打者1回、最多安打1回、本塁打王4回、盗塁王4回、MVP2回、ゴールドグラブ賞12回。1979年に野球殿堂入り。
[山下 健]
『ウイリー・メイズ著、池井優訳『ウイリー・メイズ自伝 大リーグの黒い稲妻』(1979・ベースボール・マガジン社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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