メトディオス(読み)めとでぃおす(英語表記)Methodios

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メトディオス」の意味・わかりやすい解説

メトディオス
めとでぃおす
Methodios
(815/820―885)

ギリシアの聖職者。テサロニケに生まれる。行政官としての才能に恵まれ、軍政官を務めた。だが、信仰心厚く高官の職に満足せず、修道院長となった。863年、ビザンティン皇帝ミカエル3世Michael Ⅲ(在位842~867)の命令により、弟コンスタンティノスとともにモラビアに行きキリスト教伝道に従事した。伝道はギリシア語でなくモラビア語で行った。弟はキリル文字(スラブ・アルファベット)を考案し、兄弟協力して典礼書、聖書などをスラブ語に翻訳した。兄弟の伝道活動により、まず、ブルガリア教会が945年国教としての位置を確立した。彼らは絶えずゲルマン系聖職者の妨害を受けたが屈することなく、メトディオスは弟の死(869)後、ローマ教皇からモラビアとパンノニアの大司教に叙任された。

[田口貞夫 2018年2月16日]

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改訂新版 世界大百科事典 「メトディオス」の意味・わかりやすい解説

メトディオス
Methodios
生没年:815ころ-885

キュリロスとともにモラビアのスラブ人に布教したギリシア人宣教師。シルミウム大司教(869)。テッサロニケの出身で,856年ころ世俗の生活を捨て,修道士となった。弟キュリロスがローマで客死(869)したのち,教皇ハドリアヌス2世によって,モラビアとパンノニアを管轄区とするシルミウム(現,ユーゴスラビア領スレムスカ・ミトロビツァ)大司教に叙階され,スラブ語典礼を公式に認められた。しかし大司教の地位は,フランク教会のさまざまの圧迫にあって,名目的なものに終わった。メトディオスは晩年旧約聖書のスラブ語訳に専念した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のメトディオスの言及

【ギリシア正教会】より

…6世紀よりギリシアには大量のスラブ人が侵入したが,キリスト教を受容し同化した。9世紀後半,テッサロニケ出身のギリシア人キュリロスとメトディオス兄弟はビザンティン帝国の使命を帯びて,モラビアのスラブ人にスラブ語典礼を伝えた。13世紀初頭,第4回十字軍の侵入によってコンスタンティノープルにラテン帝国が樹立されると,ギリシアの教会も大部分ラテン司教の管轄下に置かれたが,典礼や信仰生活に大きな変化はなかった。…

【スラブ学】より

…スラブ学は最初はスラブ文献学として発展した。すなわち,9世紀後半にモラビアに布教したキュリロスメトディオス兄弟が案出した最古のスラブ文字(グラゴール文字と呼ばれる)とその言語(古代教会スラブ語)の研究であり,この分野は現在ではキリロメトディアナCyrillomethodianaの名称で呼ばれている。初期の代表的なスラブ文献学者は,チェコのドブロフスキー,スロベニアのコピタル,ロシアのボストーコフAleksandr Khristoforovich Vostokov(1781‐1864)である。…

【聖書】より

…現在なお各国の正教会では,中世の翻訳を多少改訂した教会スラブ語の聖書を典礼で用いている。最初の翻訳は〈スラブ人の使徒〉と呼ばれるテッサロニキ出身のギリシア人キュリロスメトディオスの手になる。二人は9世紀後半,モラビアのスラブ人への布教の目的で,まずスラブ語を表記する文字(グラゴール文字と呼ばれる。…

※「メトディオス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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