ユロージビー(その他表記)yurodivye

改訂新版 世界大百科事典 「ユロージビー」の意味・わかりやすい解説

ユロージビー
yurodivye

ロシアの修道生活に現れた遍歴の佯狂(ようきよう)行者。東方キリスト教の修道生活においては,修行のために完全な孤独を求め,隠修士の生活がひとつの理想とされたが,世俗の生活にあっても狂人をよそおえば完全な孤独が得られるとの考えが生まれた。キリストへの愛のために常識はずれの奇妙な生活態度をとったり,狂人のふりをする修道士はギリシア語でサロイsaloiと呼ばれ,東方,特にシリアに多数現れた。代表的人物は,6世紀のエジプトの隠修士シメオン・サロスSymeōn Salos,また祈禱の際に聖母マリアが出現したとの伝説で名高い10世紀前半のコンスタンティノープルのスキタイ人アンドレアス・サロスAndreas Salosである。またキリスト教徒の間では精神遅滞者や狂人を神の使いとして,それに同情示し,さらに敬意をはらう習慣があったので,佯狂の修行者が各地を遍歴しながら生活することが可能であった。

 ロシアにおいては,アンドレアス・サロスの事跡がキリスト教の公的受容とともに知られていたが,最初のユロージビーは11世紀後半のキエフ洞窟修道院の修道士イサアク・ザトボルニクIsaak Zatvornikとされている。その後しばらく伝統が絶えるが,16世紀はユロージビーの活動が最も目だった時期であり,特にモスクワのワシーリー・ブラジェンヌイVasilii Blazhennyi(1469-1552)の名がよく知られている。ワシーリーは没後約20年後にイワン4世のもとに現れ,悪行を責めたとの伝説も伝わっている。ロシア正教会は36名のユロージビーを列聖しているが,最後は17世紀になってからである。ユロージビーの奇異な言動民衆によって預言と受けとられたり,支配者に恐れられた例も少なくない。ユロージビーをかたる偽者が出現したため,教会は偽ユロージビーの摘発に追われたが,いうまでもなく真偽の判定はきわめて困難であった。なお,ユロージビーはプーシキンをはじめトルストイ,ドストエフスキーなど文学者の作品にもしばしば現れている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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