神もしくは死者などの霊が,一時的にある人にのり移り,その周囲の人々に向かって神意を伝達する行為をいう。特に〈予言〉の語は,未来のできごとに関する予告である場合について多く用いられ,また一般には必ずしも神意によらないものをもこの語で呼ぶ。一方〈預言〉の語は,聖書および聖書的宗教の伝統におけるそのような行為を指す場合に,特に区別して使われることが普通であり,また予告や予知に限定されない。いずれにしても,広く世界の多くの民族に認められる宗教現象であり,神意の媒介者は男女を問わない。神に憑(つ)かれた者は,その間,自失・忘我状態となり,多くの場合,幻想を伴った言葉,音声,身振りなど種々の方法を用いて,神意を人々に伝達する。神意の伝達に際しては,受け手の側に解釈が必要とされる。
宗教史的には,古代イスラエルに,預言者(ナービー)と呼ばれる一群の人々が現れ,神と民衆あるいは神と国家共同体とを仲介する役割を果たし,外敵の侵攻など国家存亡の危機に,しばしば政治的理由によって国王と対立し,体制批判者として処刑されたことが知られている。旧約聖書に登場するイザヤ,エレミヤ,ホセアなどは,そうした預言者の典型である。新約聖書についていえば,イエスの先駆者としてメシア来臨の預言をしたバプテスマのヨハネが,伝統的なイスラエルの預言者の系譜に属する。イエスを預言者とみるか,それとも神の子とみるかによって,ユダヤ教とキリスト教との間に決定的な分岐点が生ずる。イスラム教の創始者ムハンマド(マホメット)は人間であり,その限り,イスラエル的な預言者の型に属する。
執筆者:山形 孝夫
仏教では,ある特定の個人の死後の運命,特に解脱や成仏(じようぶつ)に関して,〈ビヤーカラナ〉と呼ばれる一種の予言が行われた。修行によってある境地に達した人物の死後の運命(解脱するかどうか)について釈迦が予言を与えたことは,〈阿含経(あごんきよう)〉など比較的古い経典にもみられる。一方ある人物が菩薩として転生をかさねながら修学をつむうち,遂には仏となるであろうと諸仏が予言するかたちは,大乗仏教になってから発達した思想である。この予言は漢訳経典では〈授記〉または〈受記〉〈記別〉〈記〉などと訳される。初期のビヤーカラナには釈迦が行う〈授記〉と,釈迦にその資格を認められた者が,定められた規準(〈法鏡〉という)にてらしてみずから行う〈自記〉とがあった。大乗仏教におけるビヤーカラナの代表的な例は,かつて釈迦が菩薩のときに燃灯仏(ねんとうぶつ)から授記を受けたという〈燃灯仏授記〉の物語,あるいは《法華経》に説かれる,釈迦による舎利弗(しやりほつ),目連らの他の弟子たちへの授記などがある。
執筆者:岩松 浅夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「予言」が、ただ未来のことをまえもって語るだけであるのに対して、宗教的な「預言」では、きたるべき世界の内容とその意味、それを前にして人々のとるべき態度、行動を指し示すことをいう。預言を語るのは職業的な祭司、神官、僧侶(そうりょ)ではなく、神によって特別の超人間的な力(カリスマcharisma)を授けられた個人であるところにも、大きな特徴がある。
預言が、文字どおり神のことばを預かり、神にかわって語られるものとなるためには、それにふさわしい強烈な神体験、召命体験が要求される。また、シャーマニズムにみられるような、非日常的な心理の高揚状態であるエクスタシーや、意識の低下状態(トランス)も、ときには伴う。
マックス・ウェーバーは、預言を倫理預言ethische Prophetieと模範預言exemplarische Prophetieとの二つの型に分けている。「倫理預言」は、古代イスラエルの預言者に代表されるように、超越的な神の命を受けて、それを人々に伝える道具として自己を自覚した場合であり、他方「模範預言」は、釈迦(しゃか)で代表されるように、自己を救済の模範として示すものである。
いずれにせよ、預言は、単なる「予言」や予兆などとは異なり、倫理性をともなったある特定の新しい宗教的世界を提示することによって、既成の世界に対し、緊張的な作用をすることが多い。
[鈴木範久]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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