日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ヨハネス・クリソストモス
よはねすくりそすともす
Johannes Chrysostomos
(344/354―407)
三大ギリシア教父の一人。卓越した雄弁のゆえに「金の口」(クリソストモス)とたたえられる。アンティオキアに生まれ、その地の聖書解釈の伝統を継承。山岳での修道生活ののち、386年以後アンティオキアで司祭として司牧に活躍し、398年には首都コンスタンティノープルの主教に推されるが、宮廷の腐敗に対する容赦ない批判で反感を買い、403年「かしわの木の教会会議」で罷免された。流謫(るたく)の地、黒海に達する前に、追放の旅の途上で死去。思弁的神学においてよりは、実践的司牧、ビザンティン典礼の確立などにおいて比類のない足跡を残し、大バシレイオスとともに、東方教会の伝統の礎(いしずえ)となった。現存する著作は多いが、浩瀚(こうかん)な『マタイ伝講解』Homiliae in Matthaeumが特筆されるべきものである。
[谷隆一郎 2017年12月12日]
『アダルベール・アマン著、家入敏光訳『教父たち』(1972・エンデルレ書店)』▽『J. QuastenPatrology (1975, Spectrum, Utrecht, Antwerp)』▽『B. AltanerPatrologie (1978, Herder, Freiburg, Basel, Wien)』