古代および中世初期の有力なキリスト教著作家のうち,教会によって正統信仰の伝承者として認められた人々の総称。教父の著作および思想の研究を〈教父学patristics(patrology)〉と呼ぶ。教父にあたるギリシア語patēr,ラテン語paterはいずれも〈父〉の意味で,古代教会においては主教の敬称であった。しかし4世紀には,聖書に明示されない教義や教説の擁護と確立のために,正しい信仰を伝えたと認められる神学者の著作を権威とする習慣が一般化し,そのような著作家をとくに教会の〈父〉と呼ぶようになった。したがって教父とは単なるキリスト教思想家のことではなく,その著作が,聖書の有する古来の権威に次ぐないしはそれに匹敵する権威を有した人々である。アレクサンドリアのクレメンスとかオリゲネスのように著作の一部の正統性が疑われた場合,教会が教父として認めないこともあった。他方,アレクサンドリア主教のアタナシオスとかキュリロスのように,正統信仰を擁護し,神学上の貢献が大きく,かつ聖人である場合,〈教会博士doctores ecclesiae〉の称号で呼ばれる教父も存在する。かくしてカトリック教会では教父の名称を与えるために,時代としての古代,教理の正統性,聖なる生活,教会の承認の四つの基準を設定している。
使徒(キリストの弟子)ないし新約聖書の各筆者は教父とは呼ばない。けれども使徒とほぼ同じ時代,すなわち1世紀末から2世紀前半にかけて書かれた教会文献のうち,新約正典に含まれなかった文書の筆者,クレメンス,イグナティオス,ポリュカルポス,ヘルマス,パピアスなどは教父であり,とくにここにあげた人々は近世になって〈使徒教父〉と呼びならわしている。したがって教父は〈使徒教父〉から始まるわけだが,下限はセビリャのイシドルス(636ころ没)である。ただし東方正教会ではダマスクスのヨアンネス(749ころ没)を最後の教父としている。古代教会の教父はほとんどギリシア語を用いたので,〈ギリシア教父〉と呼び,他方,ラテン語を用いた西方教会の教父,キプリアヌス,ヒエロニムス,アウグスティヌスなどは〈ラテン教父〉と呼ばれる。
教父の重要性は,まず教義の形成に直接たずさわり,それによってキリスト教が世界宗教になる基盤を築いたという点に求められる。三位一体論からキリスト論といった教義の根幹にかかわる問題が教義上および教会政治上の激しい争いを経て解決を見たのは,ニカエア公会議(325)からカルケドン公会議(451)までの期間で,この時代には教父の名にもっともふさわしい人々,アタナシオス,〈カッパドキア三星〉(大バシレイオス,ナジアンゾスのグレゴリオス,ニュッサのグレゴリオス)とクリュソストモス,さらにアレクサンドリアのキュリロスなどが活躍した。このうちカッパドキアの3教父は一様にギリシア的教養を身につけており,プラトン哲学の方法を取り入れることによって,キリスト教が普遍的に受容される素地を作った。もちろん教父の活動の陰には異端として葬りさられた数多くの教会人がいたわけである。また教父の名を冠してひそかに生きのびた異端の教えもあった。教父の権威を借り,つごうのよい個所だけを引いて自己の主張を補強するといった傾向は,すでにアレクサンドリアのキュリロスにすら見られるものだが,さまざまな異端論争および東西両教会の抗争の際には相手を攻撃する常套手段となった。
一方,西方最大の教父アウグスティヌスは,体系としての神学の基礎を置き,それが中世に受けつがれてスコラ学の完成に至った。教父時代の終りは,結局,教義面で許容される思弁の範囲が固定したということを意味する。その典型が東方正教会の場合で,最後の教父ダマスクスのヨアンネスの主著《知識の泉》において,神学上のおもな問題が一応すべて解決されたと考えられている。東方でスコラ学が生まれなかったのは,教父の権威があまりにも高く,それを継承発展させるといった発想が生まれなかったからである。
執筆者:森安 達也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
「教会の父」の意。教父とは一般的には古代教会における代表的神学者をさす。ただしカトリック教会では、そのなかでもとくに正統信仰をもち、聖なる生涯を送り、教会によって公認され、古代(2~8世紀)に属する特定の神学者に限定されている。
教父は、その著作に用いた言語によって「ギリシア教父」と「ラテン教父」に大別される。ギリシア教父は比較的に思弁的であり、プラトニズムの影響下で、教義(三位(さんみ)一体論とキリスト論)の形成に寄与した。ユスティノス、イレナエウス(エイレナイオス)、クレメンス(アレクサンドリアの)、オリゲネス、アタナシウス、バシレイオス、グレゴリオス(ニッサの)、クリソストモス、キリロス(アレクサンドリアの)など。ラテン教父は比較的に実践的で、とりわけ教会の伝統や倫理や職制の形成に貢献した。テルトゥリアヌス、キプリアヌス、ラクタンティウス、アンブロシウス、ヒエロニムス、アウグスティヌス(ギリシア教父の特色をもあわせもつ)、ボエティウスなど。これら教父たちの神学思想大系を「教父神学」または「教父哲学」といい、教父についての研究を「教父学」という。
[荒井 献]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
使徒以後のキリスト教会で,正統的教理を論証し,清浄な生活を送り,教会によって承認される古代の著作家たち。ときに中世の神学者をも含めることもあるが,教父に関する学問である教父学では,ほぼ時代を限定して,東方教会ではダマスクスのヨアンネス(670?~750?),西方教会ではグレゴリウス1世,またはセビリャのイシドルス(560?~636)までとするのが通例である。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…按手礼によって使徒の後継者として立てられた,地方教会の統治者であり,各地に分散しているキリスト者が祭司の民として一致して礼拝を行うために,一同に奉仕する司祭(長老)団の中心人物。地方教会を統括する牧者として神の民を牧し,父である神の配慮を具体化する者として〈教父〉と呼ばれた。第2バチカン公会議は,この司教と司祭の役職を奉仕的祭司職と呼ぶ。…
※「教父」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新