略称EFTA(エフタ)。ヨーロッパの地域的経済統合機構の一つ。1958年に発足したヨーロッパ経済共同体(EEC)に対抗して、1960年1月4日にイギリスの主導の下に、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、オーストリア、スイス、ポルトガルの7か国によって自由貿易地域結成のための条約がスウェーデンのストックホルムで調印され、同年5月3日に発効した。その後、61年にフィンランド(当初準加盟、86年に正式加盟)、70年にアイスランド、91年にリヒテンシュタインが加盟したが、1973年にイギリス、デンマーク、86年にポルトガルがヨーロッパ共同体(EC)加盟のため、95年にスウェーデン、フィンランド、オーストリアがヨーロッパ連合(EU)加盟のために脱退した(ノルウェーは1972年にEC加盟条約に調印をしたが、国民投票で否決された)。それ以降、EFTAはノルウェー、スイス、アイスランド、リヒテンシュタインの4か国で構成されている。本部はスイスのジュネーブ。
EFTAは、全ヨーロッパを結集する大自由貿易地域設立構想が破れて1958年EECが結成されたため、これに対抗して、イギリスが、独自の立場で、イギリス連邦諸国との関係を維持し、ヨーロッパにおける経済的・政治的リーダーシップを確保しようとし、最終的に政治統合を目ざすEECに対しておもに政治的理由から加盟をためらっていた北欧、スイスなどを加えて発足したものである。EFTAは、域内の関税を撤廃する点ではEECと同じであるが、域外に対しては、EECと異なり、共通関税を設定することはしない。当初のスケジュールでは、1970年1月1日までに域内工業製品の関税および数量制限を撤廃することになっていたが、実際には3年短縮して1966年末には撤廃を完了し、自由貿易地域を完成した。
ところが、1967年にEECを中心として発足し発展の著しいECに加盟するため、73年1月1日にイギリスとデンマークがEFTAを脱退した。それに先だって、EFTAに残留する7か国は、ECとの間で連合協定締結を個別に交渉、1972年7月22日にベルギーのブリュッセルでヨーロッパ自由貿易地域協定に調印した。協定内容は各国ごとに異なるが、その骨子は、一部の例外品目を除いて、工業製品について段階的に関税を引き下げ、最終的には関税の撤廃を目ざすというものであった。この結果77年7月1日、EFTA7か国、EC9か国を含めた16か国からなる一大自由貿易地域が形成された。84年にはEFTA、ECの両機構はヨーロッパ経済領域(EEA)を創設する必要性を認めていたが、92年のEC域内市場統合の進展にあわせる形で、93年発足を目標とし、1992年5月、EEA協定に正式に調印した。しかしスイスがEEA協定の批准を決める国民投票で否決したため、結局EEAは94年1月スイスを除いて発足した。EEA協定は、加盟国間の財、労働、資本の自由な移動の拡大を図るほか、環境、安全保障、社会政策などの面で、EUの域内共通政策の実施、研究開発、教育、観光などの諸分野での協力を規定している。
[相原 光]
『石渡利康・佐伯富樹・曽我英雄著『ECの拡大と深化』(1990・高文堂出版社)』▽『日本国際政治学会編『政治統合に向かうEC』(1990・日本国際政治学会)』▽『小久保康之著『新欧州秩序構築下におけるEC・EFTA関係の現状と展望』(1993・世界平和研究所)』▽『田中友義・河野誠之・長友貴樹著『ゼミナール 欧州統合――歴史・現状・展望』(1994・有斐閣)』
1959年に設立されたヨーロッパの自由貿易地域。発足は60年。EFTA(エフタ)と略称される。当初の加盟国はイギリス,デンマーク,ノルウェー,スウェーデン,スイス,オーストリア,ポルトガルの7ヵ国。EEC(ヨーロッパ経済共同体)の原加盟国6ヵ国が〈インナー・シックスInner Six〉と呼ばれるのに対して,これらの国々は〈アウター・セブンOuter Seven〉と呼ばれる。その後61年にフィンランド(準加盟),70年にアイスランドが加盟したが,73年にイギリスとデンマークが,86年にポルトガルが,95年フィンランド,オーストリアが脱退して現在は4ヵ国で構成されている。1958年にEECが設立されたとき,イギリスは,超国家的機構には反対である,共通関税の設定は特恵関係をもつイギリス連邦諸国との貿易関係を損なうおそれがある,などの理由で,これに参加しなかった。ところが,EECが設立されると,それまでイギリスから輸入されていたものが域内からの輸入にかわり,イギリスのEEC諸国への輸出が減少するおそれがでてきた。そこで,イギリスが提唱して,同じように被害を受けそうな上記の国々と,EECに対抗してEFTAを結成したのである。EFTAは,EECよりも緩い経済統合体で,加盟各国間で関税,数量制限などを撤廃して自由貿易を実現し,互いに輸出を拡大するとともに,より安く輸入できるようにしようとするものであり,対域外貿易制限は各国独自のものを残し,労働・資本移動の自由化や政策の調整・統一などは行われず,EECとちがって超国家機構の性質はもっていない。EFTA結成の成果は,貿易拡大の面でも経済成長の面でもEECに比してかなり劣っているといわれる。このためもあって,イギリスとデンマークは73年にEFTAを離脱してEC(ヨーロッパ共同体,現EU)に加盟した。その後EFTAに残留した7ヵ国は,EC諸国との間で,工業製品について互いに貿易を自由化するというヨーロッパ自由貿易地域協定を結び,これは77年に発効した。したがって,現在は,工業製品については,西ヨーロッパのほぼ全体が自由貿易地域となっている。
執筆者:川鍋 襄
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ヨーロッパ経済共同体(EEC)設立の構想が明らかになると,大陸市場からの孤立を恐れたイギリスは,全ヨーロッパ自由貿易地域の密接な経済連合を創設する構想を提起した。しかし,EEC側,特にフランスとの意見対立のため,イギリスのEEC加盟は成功せず,オーストリア,スイス,ポルトガル,デンマーク,ノルウェー,スウェーデンに働きかけて1960年5月EFTAを結成した。86年フィンランドが加盟。最高機関は加盟国代表による閣僚理事会。EECと競合関係にあったが,連合加盟国間の結びつきはゆるかった。94年EUとの間でEEAを結成,その実質的意味は低下した。
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…現在は〈ヨーロッパ連合(EU)〉に統合されている)。EECに対抗して,イギリス,スウェーデン,デンマーク,オーストリア,ポルトガルは60年にヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を発足させたが,これは自由貿易地域にとどまるものであり関税同盟ではない。EECやEFTAに触発されて,それ以後,ラテン・アメリカ自由貿易連合(LAFTA),中米共同市場(CACM),アラブ共同市場(ACM),西アフリカ諸国経済共同体(ECWAS)等,世界各地に多くの経済統合が発足している。…
…ただし,GATT自体は自由貿易地域と関税同盟の結成を例外として認めている(GATT24条8項)。 実際に結成された代表的な自由貿易地域としては,ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)および中南米自由貿易連合(LAFTA)がある。EFTAはヨーロッパ経済共同体(EEC)に対抗してイギリスを中心とした7ヵ国によって1960年に結成され,67年までに域内の関税はほぼ撤廃された。…
…1951‐70年の世界貿易の拡大率は年率8.5%という未曾有の高率であった。このなかで西ヨーロッパ諸国ではヨーロッパ共同体(EC)とヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を中心に貿易自由化,市場統合化が進められた。日本はこのときも少し遅れて世界経済拡大に参加した。…
…その意味でポンド再建の鍵はスターリング地域といかなる結合関係を維持するかにかかっていた。58年ヨーロッパ経済共同体(EEC)がフランス,西ドイツなど6ヵ国で形成されたとき,イギリスはこれに加盟せず,みずからが中心となってヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を形成したのも,スターリング地域との補完的貿易関係を考慮したからである。しかしそれもポンドの基盤強化とはならず,同じ58年末,大陸西ヨーロッパ諸国とともに通貨の交換性回復に踏み切った後でも,いわゆるストップ・アンド・ゴー政策によってポンドの価値を維持するのがやっとであった。…
※「ヨーロッパ自由貿易連合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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