リヒテンシュタイン(読み)りひてんしゅたいん(英語表記)Alfred Lichtenstein

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リヒテンシュタイン」の意味・わかりやすい解説

リヒテンシュタイン(国)
りひてんしゅたいん
Liechtenstein

ヨーロッパ中部、スイスオーストリアの間に挟まれた小さな公国。面積157平方キロメートル、人口3万2426(1999センサス)。正称リヒテンシュタイン公国Fürstentum Liechtenstein。首都はファドゥーツ

[前島郁雄]

国土と住民

国土の南東部には標高2000メートルを超すレーティコン山群がそびえ、西部はライン川右岸の谷底平野であり、ライン川はスイスとの国境をなしている。山麓(さんろく)部には扇状地が発達する。堤防が建設されて河川改修が行われた結果、ライン川の水位は平野面より所々高くなり、天井川をなしている。1817年、68年、1927年には堤防決壊のため大洪水にみまわれている。平野部では気候はいくぶん温和で、平均気温は1月零下2℃~0℃、7月15℃~18℃で、フェーンにしばしばみまわれる。年降水量は平野部で800ミリメートル、山稜(さんりょう)部で2600ミリメートルに及ぶ。谷底平野では小麦、トウモロコシジャガイモ、タバコが、山麓の扇状地は日射に恵まれるのでブドウが栽培される。山地斜面は広葉樹林混交林ドイツトウヒ林に覆われるが、中腹は一部が刈り草用の牧草地として開かれている。

 居住は先史時代にさかのぼり、現在の住民は大部分がアレマン系のゲルマン人で、ドイツ語の一方言を話し、その言語は隣接するスイスのザンクト・ガレン州やオーストリアのフォアアールベルク州のものと類似する。また、地名はその歴史を反映してレト・ロマン語起源のものが多い。住民の約80%はカトリック教徒である。

[前島郁雄]

歴史・政治

リヒテンシュタイン公国は、神聖ローマ皇帝カール6世が1719年にファドゥーツとシェレンベルクの2公領を合併して公国とし、リヒテンシュタイン家に与えたことで誕生した。1806年の神聖ローマ帝国の滅亡までは帝国に属し、07年ナポレオンのつくったライン同盟に加わり、15年ドイツ連邦の成立とともにこれに参加した。1866年に独立し、翌67年に永世中立国として国際的に承認され、軍隊を保有していない。1918年まではオーストリアと同盟を結び、密接な関係をもっていたが、それ以降はスイスとの結び付きを強め、21年にスイス・フランを通貨とし、24年にはスイスと関税同盟を結び、郵便、電信、電話は共通で、外交国防はスイスが代行するというように、事実上スイスの保護国となっている。1921年現行憲法を制定し、政体は男子世襲による立憲君主制。定数25人、任期4年の一院制議会制度をとっている。「この国にないものは女性参政権と国際空港である」と長らくいわれてきたが、1984年6月の国民投票で女性参政権が認められ、86年の総選挙では初の女性議員が誕生した。現リヒテンシュタイン公はハンス・アダム2世Hans Adam Ⅱ(1945― 。在位1989~ )。90年国連に加盟した。91年ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)、95年ヨーロッパ経済地域(EEA)加盟。

[前島郁雄]

経済

国土の40%は農牧業地、35%は森林であるが、第一次産業に従事する人口は産業人口の2%にすぎない。この国は、1940年代初めまでは失業者を抱えた貧しい農業国であったが、その後30年の間に工業国へと変貌(へんぼう)した。これは、ヨーロッパの好景気を背景に外国企業誘致のための税制上の優遇政策をとったり、安価な労働力を提供したりしたことによる。工業人口は産業人口の45%で、工業製品の大部分は輸出され、繊維、機械部品、光学器械、電気製品などがおもな輸出品である。

 19世紀末すでに外国人は人口の1割を超えていたが、工業化とともに外国人の流入は増大し、人口の3分の1以上が外国人である。外国人居住者は、スイス人、オーストリア人、ドイツ人、イタリア人の順に多い。この国の外国人労働者は、スイス、ドイツなど他の工業国と違って、知的職業、高級技術職につく者の比率が高いことが特色であり、毎日、国境を越えて、スイスやオーストリアから通勤する者が多いのも特記すべきことである。これら通勤者も含めれば、この国の産業人口の半分以上が外国人で占められる。第二次産業のどの部門でも外国人労働者は6~7割を占め、民間企業の指導的立場にある人の大半は外国人である。一方、公務員の上級職ではリヒテンシュタイン人が3分の2を占めている。

 法人税が安く、会社設立の手続が容易なため、この国に本社の籍だけを置いている多国籍企業が多く、この法人税だけで国庫収入の40%をまかなっている。ほかに観光収入、美しい切手発行による収入も多い。国民には納税義務はなく、1人当りの国内総生産は約2万3000ドル(1998)で、スイスやオーストリアとともに世界の最高位にある。

[前島郁雄]

『大石昭爾著『誰も書かなかったリヒテンシュタイン――アルプスに抱かれたメルヘンの国』(1981・サンケイ出版)』『植田健嗣著『ミニ国家「リヒテンシュタイン侯国」』(1999・郁文堂)』



リヒテンシュタイン(Alfred Lichtenstein)
りひてんしゅたいん
Alfred Lichtenstein
(1889―1914)

ドイツの詩人。ベルリン生まれ。表現主義運動の高まりのなかで、20世紀初頭の不安な時代相を忠実に表現する形式原理として、初期表現主義の特徴の一つである「行列様式」をもっとも発展させた詩人。第一次世界大戦に参戦、戦死する。おもな作品は『クーノ・コーンの詩』(1913)、『詩と物語』(1919、没後刊)など。

[内藤道雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リヒテンシュタイン」の意味・わかりやすい解説

リヒテンシュタイン
Liechtenstein

正式名称 リヒテンシュタイン侯国 Fürstentum Liechtenstein。
面積 161km2
人口 3万9200(2021推計)。
首都 ファドゥーツ

ヨーロッパ中部,スイスとオーストリアの国境沿いにある立憲君主国。国土は南北に細長く,ライン川右岸に沿った三角形の谷底平野と比較的広い高原部とからなる。住民の大部分はドイツ系で,ドイツ語の方言を話し,カトリックが多い。この地方は,中世以降神聖ローマ帝国に属した。 1719年にシェレンベルクとファドゥーツの2貴族領がリヒテンシュタイン家のもとに統一され,ライン連邦,ドイツ連邦を経て 1866年に独立,翌年に永世中立国となった。第1次世界大戦まではオーストリアと密接な関係にあったが,第1,第2次世界大戦中はドイツ軍に占領され,第2次世界大戦後はスイスとの関係が深くなった。国防と外交権をスイスに委任し,関税同盟を結び,スイスの通貨を用いている。郵便事業もスイスの管理下にあるが,国家歳入のかなりの部分を,美しい郵便切手の売り上げに依存している。 1990年国際連合加盟。産業は農業が主体で,穀物,ブドウその他の果樹栽培のほか牧畜,酪農も盛ん。織物,陶器,皮革などの工業も行なわれている。ヨーロッパ諸国から訪れる観光客も多い。

リヒテンシュタイン
Liechtenstein, Johann I Joseph, Fürst von und zu

[生]1760.6.26. ウィーン
[没]1836.4.24. ウィーン
オーストリアの軍人。トルコ戦争 (1788~91) ,ナポレオン戦争 (99~1814) に参加。アウステルリッツの戦い (05) では連合軍の退却を援護した。 1820年元帥。

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