ラルフ ローレン
Ralph Lauren
- 職業・肩書
- ファッションデザイナー ポロ・ラルフ・ローレン創業者
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1939年10月14日
- 出生地
- ニューヨーク市ブロンクス
- 本名
- リフシッツ,ラルフ〈Lifschitz,Ralph〉
- 学歴
- ニューヨーク市立大学中退
- 受賞
- コティ賞(7回受賞)〔1970〜84年〕,CFDA賞〔1982年〕,CFDA生涯功労賞〔1992年〕
- 経歴
- ユダヤ系ロシア移民の子。大学を2年で中退して軍隊に入隊。除隊後、職を転々とした後、ボー・ブランメル・ネックウェアに入社。手袋、ネクタイのセールスマンを経て、1967年ネクタイのデザイナーとなり、ポロのエンブレム入りワイドタイ(ポロタイ)を発表して名声を高める。’68年紳士服のポロ・ラルフ・ローレン社を設立。’71年婦人服を開始してからは子供服、アクセサリー、靴へと発展する。’77年に映画「アニー・ホール」でダイアン・キートンがローレンの服を着て、“アニー・ホール・ルック”と呼ばれ流行した。’83年には伝統主義を“住”に広げ、ベッドリネンなどインテリアを手がけるホームコレクションも発表。’86年には製品すべてを集めた壮麗なポロ・ストアをニューヨークのマディソン街にオープンし、世を瞠目させた。“プレーリー・ルック”“フロンティア・ファッションズ”といったアメリカ風のスタイルで有名。がん撲滅・治療のための基金や施設を設けるなど、社会貢献にも力を入れる。米国だけでなく世界中に店舗を持つポロ・ラルフ・ローレンのチーフデザイナー兼CEO(最高経営責任者)を務めていたが、2015年11月CEO職を退く。デザイナーは続ける。2006年東京・表参道にポロ・ラルフローレンの旗艦店が開店するにあたり25年ぶりに来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報
Sponserd by 
ラルフ・ローレン
米国の服飾大手企業、ファッションブランド。ネクタイメーカーに勤めていたラルフ・ローレンが、1967年に「ポロ」のレーベル名で幅広のネクタイを発表、翌68年に「ラルフ・ローレン」を創業した。同年にはメンズウェアを、71年にはウィメンズウェアを発表し、映画「華麗なるギャツビー」(74年)や「アニー・ホール」(77年)の出演者に同ブランドが用いられた。86年には、米国人デザイナーとして初めてパリに路面店をオープンしている。93年に新ブランド「Polo Sport」「Double RL」を、96年には「Polo Jeans Co.」を、2004年に「ラグビー(RUGBY)」をスタートさせるなど活発にブランド展開を行った。また、01年にPolo Ralph Lauren財団とAmerican Heroes基金を設立するなど、様々な社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。09年には、日本法人「ラルフローレン株式会社」が設立された。16年6月7日、総額4億ドルのリストラを含む経営再建計画が発表された。
出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報
Sponserd by 
百科事典マイペディア
「ラルフローレン」の意味・わかりやすい解説
ラルフ・ローレン
服飾デザイナー,またそのブランド名。ローレンは1939年ニューヨーク生れ。ブルックス・ブラザーズをへて,ボー・ブランメル・ネックウェア社で仕事をする。ここで手がけた幅広で大胆な色使いのネクタイが爆発的にヒットし,1968年ポロ・ラルフ・ローレン社を設立。アイビー・スタイルの,ナチュラル・ショルダー・ラインの紳士服ブランド〈ポロ〉を作り出す。ジャケット,プリーツ・スカート,フランネルのシャツやパンツなど女性服にも進出。現代的でありながら米国の古きよき時代や英国の上流家庭のライフスタイルを感じさせる商品作りは人気が高い。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
ラルフ ローレン
生年月日:1939年10月14日
アメリカのファッションデザイナー
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
Sponserd by 
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 