翻訳|polo
馬に乗った競技者がスティックで木製のボールを打ち合い,相手のゴールに入れて得点を争う競技。騎馬民族の競技,あるいは軍事教練として始まったもので,古代ペルシアで盛んに行われた。以後ペルシア(イラン)からアラビア,チベット,中国などに広まり,13世紀にインドへ伝えられたという。日本の打毬(だきゆう)も同系統である。ポロの名前はチベット語のpulu(ボールの意)による。19世紀中ごろインド駐在のイギリスの騎兵隊がポロに興味を持ち,本国へ導入,1871年にイギリス最初の試合が行われた。以後近代ルールが整備されて各国へ普及した。現在はインド,イギリス,アメリカ,アルゼンチンなどを中心にヨーロッパ,アフリカなどでも行われている。日本へは1920年代の初めにイギリス大使館によって伝えられたが,普及に至っていない。
競技は各チーム4人で行われるが,競技場が狭い場合には3人制も採用される。初期には8人制だった。競技場は縦300ヤード(274m),横200ヤード(183m)で,ゴールには高さ10フィート(3m)の柱を8ヤード(7.3m)の間隔で2本立てる。柱には布などを巻き,激しくぶつかったときは倒れるようにしておく。マレットmalletと呼ぶスティックは長さ1.4mほどで,頭部は槌のようになっているが,ボールを打つのはその側面である。ボールは堅い木で作られ,直径31/4インチ(82.5mm),重さ41/4~43/4オンス(120~135g)ある。試合は7分30秒をくぎり(チャッカーchukker)とし,一般には4チャッカー,最高は8チャッカー行う。休憩は各回3分以上とる。馬に乗った審判2人のほかにレフェリーを置く。まず両軍が中央に向かい合って並び,審判がボールを投げ入れて試合が始まる。ボールを追っている選手の前方を横切ったり,スティックで相手や馬をたたいたりしてはいけないなど,こまかい規則がつくられている。ボールがゴールを通過すると得点となり,サイドが入れかわる。使用馬はポニーと呼ばれるが,種類の制限はなく,特別に教育されたアルゼンチン産のサラブレッド系の馬が多い。危険防止のため,選手はヘルメット,ブーツ,ひざ当てを着用し,馬の下肢には布を巻く。勇壮で人馬一体となったチームワークが要求され,技量の差が大きく影響するゲームなので,馬を含めて選手には前もってハンディキャップのポイントを与えて試合の勝敗を決めることが多い。
執筆者:加藤 博夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
4人ずつのプレーヤーがマレット(長柄の木槌(きづち))でボールを奪い合い、ゴールに打ち込む。起源は騎馬民族の競技として始まったもので、古代ペルシアで盛んに行われた、チャウガーンĆawgánで、Ćawは木切れ=Caupa、gánはたたく物=gán(a)と推定される。ポロの語源は球を意味するチベット語puluに由来するとされる。
競技は、プレーヤーは1から4までの背番号をつけ、1、2はFW(フォワード)、3、4はBK(バック)になる。競技方法は1回7分30秒で、8回行う。回(ピリオド)が終わるたびに3分の休憩があり、4回目が終了したハーフ・タイムには5分間休む。審判は騎乗者2人とサイドライン1人からなっている。
競技場は長さ300ヤード(1ヤードは約91センチメートル)、幅160ヤード以内の長方形で、その周囲にはセーフティゾーンをつくる。11インチ(1インチは約2.54センチメートル)の高さの白い板柵(いたさく)で囲むのが規則だが、もし柵がない場合は、幅200ヤードまでがセーフティゾーンとして認められる。ゴールは高さ10フィート(1フィートは約30.48センチメートル)の柱を8ヤードの間隔で2本立てる。
プレーヤーが騎乗する馬はポロポニーといわれる小馬で、数年間調教訓練された15から15.2ハンズ(1ハンズは手幅の長さ)の高さの馬と限定されている。マレットはシャフト部分が47~54インチ、ヘッドは紙巻きたばこを大きくしたようなもので直径2インチ、長さ9インチの木製の槌である。ボールは、ヤナギ、トネリコ、竹の根でつくられ、直径3.25インチ、重さ4.25~4.75オンス(1オンスは28.35グラム)となっている。勝負服は白のパンツ、チームカラーのジャージーを着用、皮またはゴム製の膝(ひざ)当てとヘルメットを着けることになっている。
競技開始は、センターラインの両側に並んだ両チームの間に、ボールを投げ入れることから始まる。騎乗したままでマレットを使ってボールを打ち、相手ゴールに打ち込めば1点を与えられる。自陣のゴール防御の際、相手の人馬をつかんだり、マレットを使ってじゃますることは禁止されているが、ボールに対して相手の馬と同じサイドにいるか、直後の場合には、相手の打とうとするマレットを自分のマレットでひっかけることはできる。反則がなければゴールできたときにはペナルティーゴールが、また反則に応じてフリーヒットが与えられる。8回を終わって同点の場合は1点をとるまで延長する。現在は、インド、イギリス、アメリカなどを中心に、ヨーロッパ、アフリカなどでも行われている。
[石井恒男]
『森美香著『ポロ その歴史と精神』(1997・朝日新聞社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…スペイン植民地下のフィリピンで施行された人頭税制度。スペイン政庁はトリブート,ポーロpolo(強制労働)の二つの制度を用いて,フィリピン住民から過酷な収奪を行った。トリブートは1家族または成年に達した2人を一組とする貢納単位(トリブタリオ)ごとに課せられ,その額は制定時の1571年には1年につき銀8レアル,17世紀以降はおおむね10レアルであったが,1851年に12レアル,74年に14レアルに増額され,84年に廃止された。…
… ところで軍事的・経済的価値とは別に,馬のスポーツ上の意義も小さくない。パキスタンやアフガニスタンの村々では,現在でも郷紳たちのスポーツとしてポロが行われ,カシミール地方では村ごとに競技場がある。古代ペルシアのダレイオス1世はポロを奨励したというが,馬上で羊の奪い合いをするブズキとともに,高度の馬の統御を要する点で,その極致を示すものといえる。…
…西安の唐墓から楽器を携えた胡人たちを背に乗せたラクダの唐三彩俑が出土したりして,当時の雰囲気を今に伝えてくれる。ペルシア渡来の勇壮なポロ競技,すなわち馬上ホッケーが貴族や後宮の美女たちのあいだに流行し,若き日の玄宗もそれに夢中になったという。従来もポロに興じる女性を模した陶塑が出土していたし,近年,乾陵(けんりよう)の陪冢(ばいちよう)の一つである章懐太子(李賢)墓から,ポロ競技を活写した美事な壁画が現れたのも偶然ではなかったのである。…
※「ポロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新