ランベール(読み)らんべーる(その他表記)Dame Marie Rambert

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランベール」の意味・わかりやすい解説

ランベール
らんべーる
Dame Marie Rambert
(1888―1982)

ポーランド生まれのイギリスの女性舞踊家、バレエ団主宰者。ワルシャワに生まれる。ジュネーブでE・ジャック・ダルクローズの「リトミック」を習得、ロシア・バレエ団(バレエ・リュス)のディアギレフに懇請され、ニジンスキーの『春の祭典』(ストラビンスキー作曲)の振付けに協力した。これをきっかけにバレエに興味をもち、ロシア・バレエ団のコール・ド・バレエで踊ったのち、ロンドンに住み、1926年にバレエ団を創設した。31年からバレエ・クラブ(のちのマーキュリー劇場)などで公演の際には「バレエ・ランベール」と称し、多くの人材を育て、優れたモダン・バレエを上演した。F・アシュトン、A・チューダー、J・クランコらの若い時代の作品はこのバレエ団で上演された。ランベール死後、バレエ・ランベールはランベール・ダンス・カンパニーと改称された。

市川 雅]

『Jane PritchardRambert ; A Celebration ; A Survey of the Company's First Seventy Years(1996, Rambert Dance Company, London)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランベール」の意味・わかりやすい解説

ランベール
Lambert d'Avignon, François; Franz Lambert

[生]1486. アビニョン
[没]1530.4.18. フランケンベルク
プロテスタント神学者。 15歳でフランシスコ会修道院に入ったが,聖書研究の結果,1522年までにカトリックを捨て,スイス,ドイツにおける宗教改革の指導者の一人となった。 24年からストラスブールで説教し,26年ヘッセン伯フィリップに仕えて,主著『ヘッセン教会の改革』 Reformatio ecclesiarum Hessiaeを書き,彼は教会会議による民主的教会行政を主張した。 27年マールブルク大学教授,29年のマールブルク会議以後ツウィングリ派となった。

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