日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ランベール・ダンス・カンパニー
らんべーるだんすかんぱにー
Rambert Dance Company
イギリスのバレエ団。1926年、ポーランド出身のM・ランベールによって設立された。彼女はロシア・バレエ団(バレエ・リュス)による『春の祭典』(1913年、振付けはV・ニジンスキー)初演のとき、E・ジャック・ダルクローズのリトミックのテクニックによって振付けを手伝ったことがあった。バレエ団は1926年から公演活動を始め、1931年からバレエ・クラブ(のちのマーキュリー劇場)などで公演の際には「バレエ・ランベール」と称した。上演作品は、F・アシュトン、A・チューダー、ハワードAndrée Howard(1910―1968)ら若い振付家の野心を中心とした。とくにチューダーの『リラの園』(1936)、『暗い悲歌』(1937)は主要なモダン・バレエ作品であった。その後もモダン・バレエとモダン・ダンスの作品を積極的に上演するバレエ団として、イギリス舞踊界の発展に尽くした。
ランベールの死(1982)後、深刻な財政危機にみまわれ、バレエ団としての路線変更を余儀なくされた結果、1987年に現名称に改称し、現代舞踊の上演に切り換える大改革を行った。オランダやアメリカの現代舞踊を基本に据えて、グレン・テトリーGlen Tetley(1926―2007)やアンナ・ソコロウAnna Sokolow(1910―2000)らを招き、指導にあたらせた。1993年に一度解体するが、ジョン・チェスワースJohn Chesworth(1930―2014)が芸術監督のときに、イギリスのダンサー、クリストファー・ブルースChristopher Bruce(1945― )を専属の振付家とし再建した。その後、リチャード・アルストンRichard Alston(1948― )、ロバート・ノースRobert North(1945― )らが監督を引き継ぎ、ブルースをはじめP・テーラー、ダン・ワゴナーDan Wagoner(1932― )、アシュリー・ページAshley Page(1956― )、マイケル・クラークMichael Clark(1962― )らの作品を精力的に上演している。
[市川 雅・國吉和子]
『Jane PritchardRambert ; A Celebration ; A Survey of the Company's First Seventy Years(1996, Rambert Dance Company, London)』