アブドゥルアジーズ(その他表記)‘Abd al-‘Azīz b. ‘Abd al-Raḥmān Āl Su‘ūd

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アブドゥルアジーズ」の解説

アブドゥルアジーズ
‘Abd al-‘Azīz b. ‘Abd al-Raḥmān Āl Su‘ūd

1880~1953(在位1932~53)

サウジアラビア初代国王。ラシード家によってリヤドを失ったのち,父とともにクウェート亡命。1902年に少数手勢を率いてリヤドを奪還。さらにワッハーブ派と呼ばれる宗教純化運動を利用しながら領域を拡大し,25年頃にはヒジャーズ地方を征服,32年に国号を正式にサウジアラビア王国(サウード家のアラビア王国)とした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アブドゥルアジーズ」の意味・わかりやすい解説

アブドゥル・アジーズ
Abdülazîz

[生]1830.2.9. イスタンブール
[没]1876.6.4. イスタンブール
オスマン帝国第 32代スルタン (在位 1861~76) 。兄のスルタン,アブドゥル・メジト1世のあとをうけてタンジマート時代の政治体制を継続した。しかし次第に専制政治への傾向を示し,ナムク・ケマルら反専制・自由主義運動推進者による批判なか退位を余儀なくされたのち,急逝した。

アブドゥル・アジーズ

「イブン・サウード」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のアブドゥルアジーズの言及

【シャー・ワリー・ウッラー】より

…彼はイスラムの思想の浄化を目ざしたが,単に,イスラム神学・宗教思想の面にとどまらず,当時の社会体制にまで批判を向けた。インドにおける近代イスラム思想の先駆者とみなされており,彼の死後,その理論は子のアブドゥル・アジーズShāh ‘Abd al‐‘Azīz(1746‐1824)に受け継がれ,実践に移された。彼の思想は19世紀に入って反英運動へと発展していった。…

※「アブドゥルアジーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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