コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

アラウィー朝 アラウィーちょう ‘Alawī

1件 の用語解説(アラウィー朝の意味・用語解説を検索)

世界大百科事典 第2版の解説

アラウィーちょう【アラウィー朝 ‘Alawī】

モロッコの現王朝。1631年以降。フィラーリーFilālī(ターフィーラールトTāfīlālt出身者の意)朝,フィラール朝ともよぶ。王家の先祖は13世紀末,アラビア半島からモロッコ南部のターフィーラールト地方に来住したアラブ系の一族で,預言者ムハンマドの孫ハサン血を引くシャリーフ(〈高貴な血筋の人〉の意)を主張する。聖者崇拝思想の発展とポルトガルスペインに対する排外的なジハード(聖戦)意識の高揚を土台に,ムハンマド・アッシャリーフをスルタンとしてターフィーラールトに建国(1631),40年には,アラウィー家のムハンマド・ブン・ムハンマドは,周辺地域を含む王とみとめられた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のアラウィー朝の言及

【マグリブ】より

…すなわち,アルジェリアは1671年からデイと呼ばれる軍人の太守が統治,チュニジアは,ムラード朝(1613‐1705)とフサイン朝(1705‐1958)の成立,リビアは,トルコ系軍人と現地人との間の子を意味するクルグリKulghli人によるカラマンリーQaramanlī朝(1711‐1835)の成立を見た。一方,モロッコはシャリーフによるサードSa‘d朝(1549‐1659),アラウィー朝(フィラール朝。1631‐)の建国によってスペインやポルトガルの侵攻を撃退して独立を保った。…

※「アラウィー朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

アラウィー朝の関連キーワードモガドールモロッコモロッコ事件ネモフィラゼフィランサスモロッコ革チャクリ王朝タトワンモロッコのファンタジアアナフィラキシー様現象

今日のキーワード

大統領補佐官

各種政策の立案その他に関し,側近として大統領に助言する役職だが,実質上はブレーン,顧問として多面的な役割を担う。憲法で定められた唯一の行政責任者である合衆国大統領は,強大な権力を持つにもかかわらず,議...

続きを読む

コトバンク for iPhone