ローマ人が用いたイベリア半島の呼称で、現在のスペイン語のEspaña、フランス語のEspagne、英語のSpainはこれに由来する。紀元前8世紀ごろに渡来したギリシア人は、同半島をイベリアIberiaとよんだ。ついで前3世紀末に第二次ポエニ戦争の過程で半島に介入したローマ人は、この呼称を継承せず、かわって「イスパニア」という名を用いた。前200年ごろの文書に初めてみられるこの呼称は、ローマ人に敵対したカルタゴ人のi-sephan-in(ウサギのいる海岸、または島)に由来するとされる。「イスパニア」は、ローマ時代と西ゴート時代を通して半島全域の名称として定着したが、ローマ時代にはティンギタニアTingitaniaとよばれた北アフリカの一部を含むこともある。
711年に半島を征服したイスラム教徒は、これをアル・アンダルスとよんだが、これによって「イスパニア」の呼称と概念が消滅することはなかった。やがて半島北辺一帯に生まれたキリスト教諸国が弱小であり、半島の大部分がイスラム教徒の支配下にあったことから、中世前期には「イスパニア」はたびたび前記アル・アンダルスをさした。
だが、12世紀に入ると、Españaの語形の下に、南北間の宗教の相違を超えて、カスティーリャ、アラゴン、ポルトガル、ナバラ、アル・アンダルスなどに分裂した半島全域の総称となった。これはカトリック両王によるカスティーリャとアラゴンの連合(1479)後も続き、ポルトガルの国民的詩人カモンイス(1524ころ―80)はカスティーリャ人とポルトガル人という区別はあっても、「イスパニア人とはわれわれ全部がそうである」といった。ポルトガルが「イスパニア」から離脱してその結果「イスパニア」が現在のスペインに限られるようになったのは、スペインがポルトガルの分離独立を認めたリスボン条約(1668)以後のことである。
[小林一宏]
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