ポルトガル文学史上最大の詩人。しかしその伝記は,ほとんどが推測,しかも〈願望的な推測〉の域を大きく越えていない。生まれたのはおそらくリスボン。没落貴族の子であった彼は,当時の知識人と比較しても群を抜くほど該博な知識を持っていたが,いつ,どこでそれを身につけたかは明らかでない。コインブラ大学との説もあるが,確実ではない。1553年にインドへ行き,おそらく69年にリスボンへ戻る。東洋における16年間は,悲惨と貧窮と落胆の連続であった。そのうえ投獄の憂目にさえあう。物質的な面から見れば,東洋における生活はほとんど無意味なものであったが,不朽の名作と言われる叙事詩《ウズ・ルジアダス--ルシタニアの人びと》(1572)をこの間に書きあげている。しかし,この叙事詩刊行後も彼の生活は物質的に好転することはなく,貧窮のうちに死をむかえた。貧しさこそ終生彼のもとをはなれることのなかった〈親友〉と言えよう。1行が10音節,1スタンザが8行より成る《ウズ・ルジアダス》は,10の歌に分かれ,9000行ちかい一大叙事詩である。インド航路を〈発見〉したバスコ・ダ・ガマが形式の上では中心になっているが,単にガマの航海をうたったものではない。それはホメロス,ウェルギリウスなどの古典的作品に範をとりながら,ポルトガル人の赫々たる偉業をうたいあげた雄編であり,全体に愛国の熱情が満ちあふれている。ギリシア・ローマ神話,ポルトガルの歴史などが詳しくうたいこまれており,この詩は彼の博覧強記ぶりの証(あかし)ともなっている。《ウズ・ルジアダス》は《神曲》や《ドン・キホーテ》に匹敵する傑作で,ポルトガル文学の巨大な遺産とされているが,彼はまた,抒情詩人としても当時第一級の人物であり,現在では《抒情詩集》として,その作品は1冊にまとめられているほどである。ほかに《セレウコ王》(1645)など3編の戯曲がある。
執筆者:池上 岑夫
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ポルトガルの詩人。リスボン生まれ。勉学のため学都コインブラに1542年までいたと信じられている。ドン・ジョアン3世の宮廷に仕えたが、47年北アフリカのセウタへ赴き、ムーア人との戦闘で右目を失明。その後、故国に帰ったが、52年宮廷の一青年を傷つけ捕らえられ、翌年許されてインド、中国に滞留、69年リスボンに帰り、晩年は極度の貧困と病のうちに数奇な生涯を閉じた。彼の名を不朽にしたのは叙事詩『ウス・ルジーアダス』(1572)で、ウェルギリウス、ペトラルカに比肩する詩聖である。叙情詩はソネットがとくに優れ、複雑で繊細な感情を巧みに表現している。
[濱口乃二雄]
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1525?~80
ポルトガル文学を代表する詩人。北アフリカやアジアで軍人,官吏として活動するが,戦争で片目を失ったり,経済的に困窮するなど,生涯を通じて不遇であった。ヴァスコ・ダ・ガマの事績とポルトガルの歴史を神話的な構想でうたった長編叙事詩『ウズ・ルジアダス(ルススの民のうた)』(1572年)が代表作であり,ポルトガル文学不朽の名作として称えられている。抒情詩人としても卓越。
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