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インドシナの中立化 インドシナのちゅうりつか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

インドシナの中立化
インドシナのちゅうりつか

インドシナ3国の中立化構想。 1954年のインドシナ休戦協定 (→ジュネーブ協定 ) で,インドシナ3国はいかなる軍事同盟にも参加しない義務を負ったが,特にベトナムにおける対立が自国に波及することを恐れたラオスカンボジアは,中立化宣言によって安全を確保することに熱意を示した。ラオスに関しては 62年ジュネーブ 14ヵ国国際会議においてラオス中立宣言が承認され,東南アジア条約機構 SEATOの保護を拒否して中立を確保したが,その後内戦の激化とともに中立の実質はまったく失われた。カンボジアは 57年永世中立法を公布,国際協定で中立を保障するよう努力した。また 63年にはジュネーブ会議参加国によるカンボジア中立保障の国際会議開催を要求,次いで 65年に再び国際会議を提案し,アメリカも参加の態度をみせたが,南ベトナム代表権問題が解決せず同会議の開催は見送られた。その後カンボジアは国際会議開催には熱意を示さなくなり,いまの国境を認めるかぎり,いかなる国とも国交を結ぶ方針をとった。 N.シアヌーク政権は,以後共産圏に傾きアメリカとの外交関係を断絶したが,70年のクーデターによって政権は倒れて内戦となり,中立の構想は遠のいた。これとは別に,63年8月フランスの C.ドゴール大統領はベトナムの中立化を提唱し,65年2月には南ベトナム,ラオス,カンボジアにおける平和と不干渉についての国際会議開催を英ソ両国に要請した。これはアメリカに対抗したフランスの外交政策の展開であるとともに,フランスの旧植民地であるインドシナへの勢力巻返しとも受取られた。このフランスのベトナム中立化案に抗議して,同年6月南ベトナムはフランスとの国交を断絶した。

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