日本大百科全書(ニッポニカ) 「イーゴリ遠征物語」の意味・わかりやすい解説
イーゴリ遠征物語
いーごりえんせいものがたり
Слово о полку Игореве/Slovo o polku Igoreve
中世ロシア文学を代表する傑作。「イーゴリ軍記」とも訳される。1185年春、南ロシアの小都市ノブゴロド・セーベルスキー公イーゴリが他の3人の公とともに東方の遊牧民ポーロベツに対して試みた不幸な遠征の史実を骨子として、たぶん1187年に成立した。語数約2850。複雑な詩的リズムをもつ散文で書いてある。作者の名は伝わらない。
次の六つの部分に分けることができる。
(1)伝説的詩人ボヤーンの詩風を回想する導入部。
(2)3日間の戦闘。イーゴリの敗北。4人の侯の囚(とら)われ。ポーロベツによる南ロシア諸都市の却掠(ごうりゃく)。
(3)キエフ大侯スビャトスラフの見た不吉な夢。貴族たちによる事件の報告。イーゴリたちの軽挙を嘆く大公の「黄金のみことば」。有力な諸侯に対する「ロシアの国のため」来援せよとの作者自身のアピール。
(4)イーゴリの妻ヤロスラーブナが、風やドニエプル川や太陽に向かって夫への援助を祈る「嘆き」のことば。
(6)侯たちと戦士たちの「武勲」をことほぐ終結部。
この作品は、叙事詩的要素、叙情詩的要素(たとえばヤロスラーブナの「嘆き」)、弁論的要素(たとえば諸侯に対する作者のアピール)の三つがいわば渾然(こんぜん)一体をなしているが、おそらくは(かつて存在した)宮廷叙事詩の伝統にたって諸侯と戦士たちの「武勲」をたたえるのが全編の眼目であり、この点で、ほぼ同時代に成立したフランスの『ロランの歌』などとの共通性は見逃すことができない。中世ロシア文学には珍しく純世俗的性格をもち、とくに自然をさまざまの事件に対して人間と同じように敏感に反応する存在として描く、いわば「異教的」な手法は、この作品のほかに類例をみないユニークな特色である。
原本は伝わらないが、1790年代の初めに16世紀ごろのものと思われる写本が発見され、その校訂本が1800年に公刊。このほかに写本発見直後つくられたコピーが現存する。原写本は1812年、モスクワ大火の際に焼失した。
[木村彰一]
『木村彰一訳『イーゴリ遠征物語』(岩波文庫)』