ウィニー マディキゼラ・マンデラ(英語表記)Winnie Madikizela-Mandela

現代外国人名録2016 の解説

ウィニー マディキゼラ・マンデラ
Winnie Madikizela-Mandela

職業・肩書
黒人運動指導者,政治家 元アフリカ民族会議(ANC)女性同盟議長,元南アフリカ芸術文化科学技術次官

国籍
南アフリカ

生年月日
1934年9月26日

出生地
トランスカイ地区ビザナ(東ケープ州)

旧名・旧姓
マンデラ,ウィニー〈Mandela,Winnie〉

受賞
第三世界賞〔1985年〕

経歴
教員の家に生まれ、比較的恵まれた環境の中で育つ。16歳でヨハネスブルクに出て医療福祉学校に学び、南アの黒人女性としては初めてソーシャルワーカーとなる。そのころからアフリカ民族会議(ANC)婦人同盟の活動に加わり、ネルソン・マンデラと知り合い、1958年結婚、2女の母に。しかし’62年に夫が投獄、自らも禁足・自宅軟禁処分となり、以後長い苦難の生活を強いられる。その後解放運動指導者として自由への戦いを続けたが、私生活面で悪評が起こり“南アのイメルダ”呼ばわりする声も。’90年2月夫の27年ぶりの釈放に伴い復権、6月夫とともに米国ニューヨークを訪れ、熱狂的な歓迎を受けた。’90〜92年ANC社会福祉部長。この間、ソウェトの自宅に“マンデラ・ユナイテッド・フットボール・クラブ”という親衛隊を組織するが、’88年に起きた黒人少年リンチ殺人事件に関連して、’91年5月誘拐・暴行罪で懲役6年の実刑判決を受ける。その後控訴し保釈(懲役2年,執行猶予5年)。’92年4月ネルソンと別居すると同時にANC部長も辞任、9月ANCの全役職を辞任。’93年12月ANC女性同盟議長として復帰。’94年5月制憲議会選挙で夫は初の黒人大統領となり、自身も下院議員、芸術文化・科学技術次官として閣僚入り。’95年4月次官解任。’96年3月最高裁はマンデラ大統領が求めていた離婚を承認した。’97年真実和解委員会により、殺人疑惑の公聴会が開かれる。2001年10月詐欺などの容疑で逮捕、その後保釈。2003年4月詐欺罪などで有罪判決、下院議員とANC女性同盟議長を辞任。マンデラとの間に娘2人がある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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