マンデラ(英語表記)Mandela, Nelson

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「マンデラ」の解説

マンデラ
Mandela, Nelson

[生]1918.7.18. 南アフリカ連邦,ウムタータ
[没]2013.12.5. 南アフリカ共和国,ヨハネスブルク
南アフリカ共和国の政治家,法律家,黒人解放運動指導者。大統領(在任 1994~99)。フルネーム Nelson Rolihlahla Mandela。テンブ族の首長の家に生まれ,1942年ウィットウォーターズランド大学で法律の学位を取得。1944年アフリカ民族会議 ANCに参加,反アパルトヘイト運動に従事する(→アパルトヘイト)。1952年オリバー・タンボとともに弁護士事務所を設立した。1956年国家反逆罪に問われたが 1961年無罪判決を言い渡された。1962年再逮捕され,懲役 5年の刑で投獄された。1963年に始まったリボニア裁判で数人の活動家とともに破壊行為,国家反逆罪,暴力的陰謀罪に問われ,翌 1964年終身刑を宣告され,1964~82年ロブン島に収監。1990年2月 F.W.デクラーク大統領率いる政権により 28年ぶりに釈放され,1991年 ANC議長に選出された。アパルトヘイトを撤廃したデクラーク政権と和平協定を結び,1993年デクラークとともにノーベル平和賞を受賞した。1994年南アフリカ史上初めて全人種が参加する制憲議会選挙で ANCが勝利を収め,南アフリカ初の黒人大統領となった。1999年任期満了に伴い政界を引退。同 1999年ネルソン・マンデラ基金を設立し,政界引退後も平和,和解,社会正義の擁護者として国際社会にその存在感を示した。著書に著作・演説集『ネルソン・マンデラ/闘いはわが人生』The Struggle Is My Life(1978,1990改訂),自叙伝『自由への長い道』Long Walk to Freedom(1994)がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)「マンデラ」の解説

マンデラ
まんでら
Nelson Rolihlahla Mandela
(1918―2013)

南アフリカ共和国黒人解放運動指導者、政治家。トランスケイのテンブ人の首長の子として生まれる。ウィトワーテルスランド大学法学部を卒業。ヨハネスバーグで弁護士開業(1952~1956)。在学中アフリカ民族会議(ANC)に入党、その青年同盟を創設。反アパルトヘイト運動に取組む。1952年ANCトランスバール支部長。同年の抗議キャンペーンにより逮捕、さらに1955年の自由憲章採択で国家反逆罪として5年間(1956~1961)投獄、1962年再逮捕。1964年終身刑となりロッベン島やポールスムア刑務所に収容され、1990年2月釈放。釈放後、ANC副議長に就任、当時の大統領デクラークとの予備会談にANC代表として出席。1991年ANC議長に就任し、以後デクラークと協力して全人種代表が参加した二度の民主南アフリカ会議、さらに多党交渉フォーラムを開き、暫定政府、暫定憲法を作成。それに基づき1994年4月に南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、ANCが勝ち、マンデラは大統領に就任。国民党、インカタ自由党と国民統合政府を樹立した。新政府は民族和解・協調政策を進め、黒人・白人の経済格差是正の復興開発計画(RDP)を実施した。1997年12月のANC党大会でマンデラは、議長の座を副大統領のT・ムベキに譲り、1999年の総選挙を機に政界から引退した。2004年公的活動からも引退を表明。1993年デクラークとともにノーベル平和賞受賞。

[林 晃史]

『東江一紀訳『自由への道――ネルソン・マンデラ自伝』上下(1996・日本放送出版協会)』

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百科事典マイペディア「マンデラ」の解説

マンデラ

南アフリカ共和国の黒人政治家。1952年白人以外で同国初の弁護士となる。アフリカ人民族会議(ANC)指導者として白人政府による人種隔離政策(アパルトヘイト)に抵抗し,黒人の権利獲得運動を指揮。1962年逮捕され終身刑判決を受けたが,1990年釈放。1994年初の全人種参加による制憲議会選挙でANCが第一党になり,大統領に選出され,340年間にわたる白人少数支配に終止符を打った。人種差別撤廃と部族間の和解を非暴力抵抗運動によって実現に導き,ガンジーと並ぶ20世紀の偉大な民主運動家として世界の尊敬を集めた。1993年白人のデ・クラーク大統領(当時)とともにノーベル平和賞。1999年大統領退任。1999年ANCのムベキが大統領となり政治世界から引退。2000年1月国連安保理で初めて演説を行った。2001年前立腺癌が発見され闘病生活に入る。2010年6月に開催されたサッカーワールドカップ南アフリカ大会の閉会式が公の場に姿を見せた最後の機会となった。2013年肺の感染症から体調を悪化させ,12月5日ヨハネスブルグの自宅で死去。
→関連項目デ・クラーク南アフリカ

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旺文社世界史事典 三訂版「マンデラ」の解説

マンデラ
Nelson Rolihlahla Mandela

1918〜  
反アパルトヘイト運動の指導者。南アフリカ共和国大統領(在任1994〜99)
コーサ族の部族長の出身。早くからアフリカ民族会議(ANC)青年部で反アパルトヘイト運動に参加し,1952年にはタンボとともに黒人初の弁護士事務所を開設して黒人解放運動を続けた。1960年のANC非合法化に対抗して地下武装闘争を始め,1962〜90年まで約27年間獄中生活を過ごした。1990年にデクラーク大統領によるアパルトヘイト関連法案の撤廃決定とともに釈放,翌年タンボの後任のANC議長に就任した。1994年には全人種参加の選挙により,大統領に就任,ここに南アフリカでの白人単独支配は終わった。以後内政の安定や,アフリカ諸国の調停役としての外交にも努力し,後任のムベキに大統領職を引き継いだ。1993年にはデクラークとともにノーベル平和賞を受賞。

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デジタル大辞泉「マンデラ」の解説

マンデラ(Nelson Rolihlahla Mandela)

[1918~2013]南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者・政治家。1990年、27年間の獄中生活ののち釈放され、翌年アフリカ民族会議(ANC)議長に就任。白人との協調路線をもとに白人単独支配を終結させ、第8代大統領に就任。在任1994~1999。1993年ノーベル平和賞受賞。

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世界大百科事典 第2版「マンデラ」の解説

マンデラ【Nelson Rolihlahla Mandela】

1918‐
南アフリカの政治家。その半生を反アパルトヘイト闘争に費やしたアフリカ人活動家。東ケープ州ウムタタ近くのクヌで生まれる。父はテンブ族の首長。1939年フォートヘア大学に入学したが,翌40年学生運動で放校処分を受けヨハネスバーグに出る。44年アフリカ人民族会議(ANC)に入党。同年O.タンボらとANC青年同盟を結成し書記長となる。50年以降,青年同盟議長となり,不服従抵抗運動を組織し活動を続け,52年禁止処分を受ける。

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