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エルメレンス Ermerins, Christiaan Jacob

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

エルメレンス Ermerins, Christiaan Jacob

1841-1880 オランダの医学者。
1841年6月21日生まれ。明治3年(1870)来日ボードインのあとをつぎ,官立大阪病院,医学所でおしえる。6年創設された府立大阪病院教授局(阪大医学部の前身)の教師となる。10年帰国。1880年2月11日死去。38歳。翌年の明治14年大阪中之島公園に記念碑がたてられた。

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朝日日本歴史人物事典の解説

エルメレンス

没年:1880.2.11(1880.2.11)
生年:1841.6.21
明治期に来日したオランダ人医学教師。ミッテルブルグ生まれ。フローニンゲン大に学ぶ。明治3(1870)年5月来日,ボードインの後任として,大阪医学校(大阪大)教師となる。のち大阪軍事病院で講義,大阪造幣寮で診療に従事。医学校ではひとりで幅広い領域をカバー,その講義は和訳されて『日講記聞』『原病学通論』などとして出版された。初期に病原微生物学を紹介した。10年帰国。ハーグ市立病院長となったが,38歳で急逝。それを知った大阪の関係者らは14年,中之島公園に記念碑を建てた。<参考文献>中野操『大阪医学風土記』

(長門谷洋治)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エルメレンス
えるめれんす
Christian Jacob Ermerins
(1841―1880)

明治期のお雇い外国人教師。オランダのフローニンゲン大学で医学を修めたのち、ベルリン大学などに学び、1870年(明治3)ボードインの後任として官立大阪医学校へ招かれた(29歳)。着任まもなく医学校が閉鎖となり、大阪鎮台病院へ移った。1873年、大阪府民の醵金(きょきん)でつくられた府立大阪病院(教授局)教師となり、1877年マンスフェルトにかわるまでおよそ7年間、熱心に医学生を教導した。外科に長じ、講義録も多く上梓(じょうし)されている。帰国後、1880年、39歳の若さで死去したが、大阪医界有志は中之島公園に「FOR THE MEMORY OF DR. C. J. ERMERINS 設乙越爾蔑嗹斯先生記念碑」を建て、その徳をたたえた。[神谷昭典]

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