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カルマト派 カルマトはQarmat

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カルマト派
カルマトは
Qarmat

イスラム教シーア派の一分派の名称。9~12世紀にアッバース朝カリフ制に対抗して,各地で運動を起した。ファーティマ朝 (909~1171) の勃興もこの派の運動と密接な関係をもっていた。 10世紀にはアラビア半島東部で独立国を形成し,930年メッカを襲撃してカーバの黒石を持去り,それを 20年間保有していた。思想的には神秘主義で,政治的にはきびしく正義を追求して,スンニー派やシーア派の他の分派と激しく衝突した。信者の間の平等と財産の共有とを主張して,その団結は強かった。教団組織は地下秘密組織で,890年その本部としてクーファに「隠れ館」がつくられた。特に都市の職人や下級労働者による秘密組合の組織化に成功したが,これはのちのイスラム神秘主義教団の組織,ヨーロッパ都市社会のギルド,さらにはフリーメーソンなどの秘密結社のさきがけとなった。

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世界大百科事典 第2版の解説

カルマトは【カルマト派 Qarmaṭ】

イスラムのイスマーイール派の一分派。899年ごろ,同派の主流は,後のファーティマ朝カリフの家系をイマームと認めたが,サワードの同派の責任者ハムダーン・カルマトはそれを認めず反抗した。この時の彼の行動を支持した人々がカルマト派と呼ばれる。またバフライン,イエメン,レイなどの同派の組織もファーティマ朝カリフの家系をイマームとは認めず,同様にカルマト派と呼ばれた。イラク南部,サワードの教団はシリアに進出して10世紀の初めに大いに活躍したが,アッバース朝軍隊の討伐を受け,907年にはサワード,次いでシリアのカルマト派の勢力も衰えた。

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世界大百科事典内のカルマト派の言及

【アラビア半島】より

…だが,ヒジャーズ地方を除いてアッバース朝の統治の実はあがらず,やがて9世紀の半ばごろイエメンのサーダにザイド派のラッシー朝が自立し,その後サヌアに移り,断続を繰り返しながら1962年のクーデタまで続いた。9世紀末から10世紀初めにかけて,イスマーイール派の活動もイエメンで活発となり,同じころバフラインを中心とする東アラビアでは,カルマト派が擬似国家(894~11世紀末)を建設した。彼らは930年の巡礼月にメッカを襲撃し,カーバの黒石をバフラインに持ち去ったが,20年後,ファーティマ朝カリフの指示でカーバに返還した。…

【シーア派】より

イスマーイール派は〈生きイマーム〉信仰が強く,イマームに服従する。イマームを神格化する派は極端派(グラートGhulāt)と呼ばれ,カルマト派,ヌサイリー派(アラウィー派)がある。これに対し十二イマーム派は穏健な立場をとり,フサインの子孫にイマームをたどり,隠れイマームのガイバの期間は,その意志は宗教法学者ムジュタヒドによって解釈され,また政治的にもムジュタヒドによる指導が行われるべきだという立場をとる。…

※「カルマト派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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