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クロアチア紛争 クロアチアふんそう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クロアチア紛争
クロアチアふんそう

1991年6月のクロアチアの旧ユーゴスラビアからの独立に伴って起こった内戦。みずからクロアチアから独立する権利をもつと主張する国内の少数派,セルビア人勢力とクロアチア共和国軍とが衝突,これにセルビア人勢力の保護を掲げる旧ユーゴスラビア連邦軍が介入して激しい戦闘が続いた。セルビア人勢力は 1991年末までにクロアチアの領域の 3分の1を支配するにいたり,「クライナ・セルビア人共和国」の創設を宣言。国際連合が仲介に乗り出し,11月末に停戦合意が成立した。1992年2月国連保護軍 UNPROFORが派遣され停戦の監視にあたった。民族主義的色彩の強いクロアチア民主同盟を基盤とするフラニョ・ツジマン大統領は,UNPROFORが展開する状況において国内の統制を強め,ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下のヘルツェゴビナクロアチア人勢力に対する支援を続ける一方,クライナ・セルビア人共和国の統合を目指した。1995年5月クロアチア軍は国連による停戦ラインを突破し,西スラボニアのセルビア人地域を攻撃。8月にはアメリカ合衆国と連携して,クライナ・セルビア人共和国への総攻撃「嵐」作戦を始めた。30万をこえるセルビア人がボスニアやセルビアに難民となって逃げ出した。この結果,セルビア人勢力は西スラボニアとクライナの支配地域を失い,残るは東スラボニアだけとなった。11月セルビア人勢力は東スラボニアも 2年以内にクロアチアに統合することを定めた和平協定に調印。1996年からは国連東スラボニア暫定統治機構 UNTAESが派遣された。1997年東スラボニアの地方選挙が実施され,クロアチア民主同盟を中心としたクロアチア人政党が勝利を収めると,セルビア人政党はクロアチア人と協力することを声明。1998年1月東スラボニアの施政権が UNTAESからクロアチアに返還された。(→ユーゴスラビア史

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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