グリムケ姉妹 (グリムケしまい)
アメリカの奴隷制廃止論者,女権運動家。姉はセーラSarah Moore Grimké(1792-1873),妹はアンジェリーナAngelina Emily Grimké(1805-79)。南部の大奴隷主の名家に生まれながら,家族と離れ北部に移住してクエーカーに改宗。1837年から38年にかけてニューイングランド,ニューヨーク一帯を奴隷制廃止について講演して回り,有名になった。女性が講演活動を行うということで非難を受けると,女性の権利をも主張するようになった。38年,アンジェリーナはマサチューセッツ州議会で女性として初めて演説を行い,女性の権利と奴隷制廃止とを訴えた。セーラも〈両性の平等について〉の記事を新聞に連載した。38年アンジェリーナが奴隷制廃止論者T.ウェルドと結婚した後,姉妹は第一線から退いたが,女権運動の先駆者として後世まで重視された。
執筆者:有賀 夏紀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
グリムケ姉妹
グリムケしまい
Grimké sisters
(姉) セアラ Sarah (Moore) 1792.11.26. サウスカロライナ,チャールストン~1873.12.23. マサチューセッツ,ハイドパーク
(妹) アンジェリナ Angelina (Emily) 1805.2.20. サウスカロライナ,チャールストン~1879.10.26. マサチューセッツ,ハイドパーク
アメリカの奴隷廃止運動家。女性解放論者。フィラデルフィアで奴隷廃止運動家のグループに参加し,1835年アンジェリナの W.ギャリソンあての手紙がアメリカ反奴隷制協会機関紙『解放者』に掲載され一躍有名になった。 38年ニューヨークに姉妹で移り女性解放運動を指導した。同年アンジェリナは有名な奴隷制廃止論者 T.ウェルドと結婚。まもなく姉妹とも公的活動から手をひきウェルドの自由主義的な学校運営を助けた。
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世界大百科事典(旧版)内のグリムケ姉妹の言及
【婦人参政権運動】より
… 婦人参政権運動は1830年代の奴隷廃止運動のなかから生まれた。大衆の前で奴隷制廃止を訴えた[グリムケ姉妹]は,自分たちが女性であるためにその行為を非難されたことを知り,奴隷の権利とともに女性の権利を要求するようになった。[L.C.モット]と[E.C.スタントン]も,同様な経験から女性解放の必要性を痛感し,48年,スタントンたちはニューヨークのセネカ・フォールズで女性の大集会を開いた([セネカ・フォールズ会議])。…
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